新・仏教説話 第十一話-第二十話

第十一話 一つかみの宝

新・仏教説話 第十一話 一つかみの宝

その昔、インドにたいそう慈悲深い王さまがいました。
ある時、王さまは、“布施行”を思いたち、宝物を山と積んで、貧しい人たちに、一つかみずつ与えることにしました。
これを聞いた人々は、お城に押しかけ、それぞれに王さまから宝をもらっては、喜んで帰って行きました。

あるときそこに、一人の旅の僧がやって来ました。
「私も小さな家を建てたいと思って、宝をいただきにまいりました」
「そうか、遠慮せずに一つかみお取りなさい」
そう王さまにすすめられて、喜んで宝を手にした僧は、なんと思ったのか、宝を元に戻しました。

不思議そうな顔をする王さまに「申しかねますが、この一つかみの宝では家を建てるのがやっとで、結婚することまではできません。
いっそのこと、いただかない方が良いと思います」と言いました。
黙って聞いていた王さまは「では、もう二つかみお取りなさい」と言いました。
彼は喜んで取りましたが、またもや元に戻しました。
王さまは驚いて「まだ足らぬのか、では特別にもう七つかみ差し上げよう」と言うと、彼は感謝して宝をつかみかけましたが、またまた宝物を、元に戻してしまいました。
さすがに王さまもイライラして「まだ足らないのですか」と言いました。

すると僧は「はい、考えてみますと、家を建て嫁をもらい、田畑を買い、ぜいたくをしても、もしたとえば病気でもしたらどうなるでしょう。
そんな時にも安心できる財産がないと不安になります。
だからいっそ頂かない方が良いと思うのです」と言ったのです。
これを聞いた王さまは、ついに意地になって「私も一国の王、思いきって、この宝をそなたに全部差し上げよう。
それなら不安はないであろう」と言いました。

旅の僧は、じっと宝の山をながめていましたが、やがてくるりと向きを変えると、王さまに一礼をしてその場を去ろうとします。

「宝はいらないのか!」と叫ぶ王さまの声に振り返った僧は、「私は思ったのです。
どんなにたくさんの宝物をいただいても、心の不安を消すことはできません。
欲を起こせば起こすほど苦しみは増すばかりです。
それならば私は、今の修行の生活のままで充分です。
人生は無常、先のことばかり思いわずらうより、今を精一杯生きることが大切だと気づきました。

私にとって、このたった一つかみの真理こそが、王さま、あなたからいただいた何にも勝る宝です。

王さま、あなたの人生にも、幸いと安らぎがおとずれますように」
こう言って静かに合掌をし、お城を去りました。

私たちも、外の宝ばかりに心を奪われず、今日の生命という、一つかみの宝を大切に生きていかなければならないでしょう。 

(W)

第十二話 間違いを悟る

新・仏教説話 第12話 間違いを悟る

お釈迦さまのお弟子の中には、様々な人たちがいます。これは名もない、あるおじいさんのお弟子の物語です。

そのおじいさんはとても貧しかったので、なんと、お釈迦さまのお弟子になれば、ひもじい思いをしないで済むだろうという安易な理由から、頭を丸めたのです。

ある日のこと、お釈迦さまのお使いで、初めて信者の人の家に出掛けることになりました。そのお家のご先祖さまにお経をあげたあと、お腹一杯のごちそうをいただいた時、そこの奥さんが、「いつもの方のように、お説教をお願いいたします。あなたは年をとられているから、その分きっと修行も積まれたお方でしょう。ぜひ、ありがたいお話をお聞かせください」と目を閉じて、心静かに話の始まるのを待っています。

困ってしまったのはおじいさんです。自分は、毎日の食事のために弟子になっただけですから、仏の教えの勉強らしい勉強は、一度もしたことがありません。どうしたものかと思案のあげく、相手の奥さんが目をつむっているのを幸いに、コソコソと逃げ出してしまったのです。

さてあくる日のこと、その奥さんがお釈迦さまのところを訪ねてきました。その声を聞いたおじいさんは「これは大変、きっと昨日の文句を言いに来たに違いない」と陰に隠れてしまいました。

いくら探しても本人がいないので、仕方なくお釈迦さまがお会いになると、彼女はこう言いました。「私は、昨日ほどありがたい教えを聞いたことはありません。私は昨日のお坊さまの教えで、今までの自分の間違いを悟りました。いつものように目を閉じていると、いくらたってもお話が始まりません。どうしてだろうと考えておりましたら、「お前はいつも話を聞くばかりで、自分で何一つ実行しようとはしない。仏の教えは、自分の身体で読まなければだめだ」と言う声が聞こえてまいりました。ハッとして気がつくと、あのお坊さまの姿がどこにも見当たりません。なんという尊いお方だろうと、今日はそのお礼を申し上げにまいったのでございます。お会いできなくてとても残念ですが、よろしくお伝えください」

これを聞いたお釈迦さまは、ニッコリ微笑まれ「そなたの悟った真理は、また他の者をも、よく救うであろう」とお答えになりました。

物陰からこの一部始終を見ていたおじいさんは、涙を流して自分のいやしい心を反省しました。

そして、それからは、命がけで仏さまの教えを学び、やがて立派なお弟子の一人になったということです。

(J・N)

第十三話 黄金の毒蛇

新・仏教説話 第13話 黄金の毒蛇

お釈迦さまが、お弟子の阿難を連れて、山道を歩いていたときのことです。

雨で崩れた崖の中で、キラキラ輝くものがあります。それは、誰かが、こっそり埋めた黄金だったのです。

これを目にしたお釈迦さまは、「毒蛇だ、阿難」と言っただけで、振り向きもせずに通り過ぎていきました。ところが、たまたまその近くにいた貧しい男が、お釈迦さまにこの言葉をふと耳にして、こわいもの見たさにその場所に近づいて行ったのです。こわごわと覗き込んだ彼は、「あ!」と大声をあげました。

それは恐怖からではなく、まさに喜びの声でした。「こういう毒蛇なら、たとえ噛みつかれたってかまやしない、持って帰って大切にしてやろう」

やがて、その男は拾ってきた黄金を元手に、商売を始めたのです。店も立派なものを作り、暮らしも派手になってきました。とこらが、それを見ている近所の人たちが黙っているはずがありません。「あいつがあんなに金を持っているのはおかしい、泥棒でもしたに決まっている」と、役人へ訴え出たのです。さっそく男は呼び出され、お金の出所をきびしく追求されました。

しかし男は「ありのままを話せば、そっくり取り上げられてしまうに違いない。泥棒呼ばわりされても、どんなに責められても、せっかく手に入れた金を放してたまるものか」と、どうしても口を割りません。

その結果、なんと死刑を宣告され、荒縄でがんじがらめに縛られて、刑場へ引き立てられることになりました。荒縄は身体に食いこみ激痛が走ります。しかしそれ以上に、人々の非難と軽蔑の眼指しは男の心に激しく突き刺さってきます。

この時になって、男は、お釈迦さまが「毒蛇だ、阿難」と言われた意味がはっきりと分ったのです。彼は一切を白状しました。もちろん黄金は全部没収されましたが、たった一つの生命は救われました。

降って湧いてきたような大金を手にすれば、魔が差して欲が出るのも人情です。こんな出来事に出会わなければ、この男も、ごく普通の人間として一生を送れたはずです。

昨今、マスコミを賑わせている政財官の利権争いなど、この物語の男と同じく、毒蛇に魅入られた哀れな人たちの姿ではないでしょうか。

たとえ貧しくても、心豊に生きる道を見つけ出すのが、幸せをつかむ最善の方法だと言えるでしょう。

(W)

第十四話 ものおしみ

新・仏教説話 第14話 ものおしみ

ある日、お釈迦さまが、マガダの国でお弟子さんたちのために〝法座〞を開かれていた時です。

その年は、ちょうど飢饉の年で、そのまわりには多くの乞食の人たちも集まっていました。そこへ、ラビタという男が荷車に大きな壺を積んで通りかかりました。その壺には、おいしいハチミツがたっぷり入っていたのです。彼は、樹の根元に坐り、法を説かれているお釈迦さまの尊いお姿を見ると、とても感激し、ご供養を申し出ました。喜んでこれを受けられたお釈迦さまは、「ラビタよ、そなたの志は尊い。その布施の心は、そなたの菩提の種を育むであろう」こう褒められたラビタは有頂天です。こうなったら、壺の中のハチミツ全部をお釈迦さまに差し上げてもちっとも惜しくないと思いました。

するとお釈迦さまが「もし、そなたにゆとりがあるならば、この弟子たちにもハチミツを供養してはくれないだろうか」と語りかけられました。その時、彼はふと「お釈迦さまにあげるのならともかく、お弟子たちは、そんなに偉くないのに、もったいない」と思ったのです。そこで前よりも少なめに、お弟子たちの分としてご供養しました。

喜ばれたお釈迦さまは「その志も尊い、だがラビタよ、許されるならば、ここにはお腹を空かした多くの貧しい者たちもいる。彼らのためにも、今一度の供養を頼めないだろうか」と仰言いました。「こんなやつらのために、オレが汗水流して集めたハチミツをやるなんて」そう思ったものの、お釈迦さまのおおせとあれば仕方ありません。そこで彼は、申しわけ程度に乞食たちへの供養をしました。最初は全部のハチミツを供養しても惜しくないと思っていた彼の心は、逆に残りの量の方が気になり始めたのです。

「ラビタよ、そなたの布施に心から感謝しよう。そのお礼として、そなたの未来を壺の中に映し出してあげよう」そう語られたお釈迦さまのすすめで、彼は心をはずませて壺の中をのぞいてみました。すると、なんということでしょう。残りのハチミツが、みんな油の炎となって彼の体を焼きつくそうとしている姿が見えるではありませんか。びっくりしたラビタは、腰を抜かさんばかりに驚いて、その訳をお釈迦さまに尋ねてみました。するとお釈迦さまは

「聞くがよい。それは、そなたの欲望の炎である。もの惜しみの心が、そなたを亡ぼさんとしている。供養とは自分より尊い者へ差し出すものではなく、もっと貧しい者へ施す、私無き心より生れなければならない」

と悟されたのです。

ラビタが己を恥じ、すっかり反省したのは言うまでもありません。

(T)

第十五話 穢(けが)れなきサンキャッチ

新・仏教説話 第15話 穢(けが)れなきサンキャッチ

サンキャッチは、七歳の男の子です。彼のお母さんは、彼が生まれると同時に死んでしまいました。いえ、お母さんが死んだ後で、彼が生まれて来たといった方が正しいでしょう。お母さんを火葬しようとした村の人が、お母さんの大きなお腹を棒でつついた時、サンキャッチはオギャアと生まれたのです。そして、その棒が、赤ん坊の目に当たったのでしょうか。サンキャッチという名前は、棒で目を傷つけられた者という悲しい意味があるんだそうです。

村の人たちは、そんな奇跡の赤ん坊をたいそう可愛がりました。でも、親のいないサンキャッチには、棒で傷つけられた目よりも、心の中に大きな傷がありました。だからでしょうか、村にやって来られたお釈迦さまを知ると、「私も出家させてください」とお願いしたのです。お伴をしていたお弟子たちは、「こんな幼い子には、出家はまだ無理です」と言いました。

ところがその時、お釈迦さまは、「この子が、そなたたちの足手まといになるより、そなたたちがこの子の足手まといになる時があるであろう」と、彼の出家をお許しになったのです。

ある日のこと、三十人のお弟子と一緒にサンキャッチは、森の中に入って行きました。みんな森の静かな所で瞑想するためです。幼いサンキャッチは、その“世話係り”でした。ところが、その森には四百九十九人もの子分を持つ山賊(さんぞく)が住んでいました。自分たちの縄張りを荒らされると思った親分は、子分に命じ、お弟子たちに攻撃をしかけて来たのです。

あわてるお釈迦さまのお弟子たち。その時、サンキャッチが大きな声で言いました。「おじさんたち!修業の邪魔をしないでください。この方たちは、まったく争いを好みません。もし、ボクでよかったら、おじさんたちの好きなようにしてください」これを聞いた親分は、「なにを言うか小僧!」と刀を振り上げました。でも、少年のその目を見れば、なんの穢れもなく、恐れもないのです。親分は振り上げた刀の納め所に困ってしまいました。ところが親分ともなると、子分と違って知恵が回ります。

「わしの刀は、この子の上に降りるのを嫌がっている。心の無い刀でさえ、人の気持が分かるというものだ。まして、俺は心を持った人間だ。今から、俺はこの子の弟子になる」と言ったのです。

こうして、七歳のサンキャッチには、なんといっぺんに五百人もの弟子ができたのです。この縁は、彼が母親の胎内に宿った時から約束されたものであると、お釈迦さまは、お弟子たちに語られたそうです。いのちって本当に不思議なものですね。

(J・N)

第十六話 床屋さん談義

新・仏教説話 第16話 床屋さん談義

私が、月に一度お世話になる床屋さんは、大の話好きです。

ある日のこと、この床屋さんが、こんなことを言いました。

「私は学問もないし、毎日、人さまの頭を刈るだけ、これじゃあ一生、仏さまにご縁はないかもしれませんね」こう言われて、私はウーンと考えました。そして、ウパーリというお釈迦さまのお弟子のことを思い出したのです。

ウパーリは、お釈迦さまの故郷、カピラ城の町に住む床屋さんでした。お釈迦さまが、お悟りを開かれて後、初めて故郷に帰られた時のことです。ウパーリが、お城に呼ばれて、お釈迦さまの頭を散髪することになりました。毎日、仕事に追われる、貧しいウパーリには、お釈迦さまのお説教を聞くような機会はありません。しかし、ありがたいことに、今日はその尊いお姿を、間近に拝することが出来るのです。ウパーリは感動しました。「お釈迦さまというお方は、噂以上に素晴らしい方だ」そう思ったウパーリは、できることなら、一生この人のお側に仕えたいと思いました。でも自分の立場を考えると、とてもそんなことは口に出せません。

そんな時、彼の心を察したのでしょうか、お釈迦さまがこうおっしゃったのです。「ウパーリよ、仏の悟りの世界には、立場の違いなどないのだよ。あるのは修行の違いだけなのだよ」これを聞いたウパーリは、びっくりしました。ウパーリだけではありません。お側にいた、お釈迦さまの従弟のアナンやアナリツも、この言葉に感動したのです。そしてアナリツが言いました。「世尊よ、願わくば、私たちをお弟子にしてください。そしてよろしければ、このウパーリもお弟子にしていただきたいのです。私たちが、目を醒ます縁を作ってくれたのは、このウパーリです。もしお許しいただけるのなら、私たちはウパーリを兄弟子として敬いたいと思います」

この申し出に、お釈迦さまは、ニッコリと微笑み、肯かれました。なぜならこの願いこそお釈迦さまの望むところ、故郷に帰ってこられた最大の目的だったからです。

「だから仏さまの教えには、立場や職業の差別はないんです。大切なのはご縁、仏さまの教えを聞いて、ありがたいと思うかどうかが鍵なんですね」

頭を刈って貰いながら、私はこう答えました。床屋さんもナルホドと肯いてくれます。お釈迦さまとウパーリとまではいかないまでも、これもまた仏縁なのでしょう。

私は、折に触れ、時に触れ、縁ある人と、心の対話をする大切さを、この時に教えられたのでした。

(M・N)

第十七話 やさしいコンダニャ

新・仏教説話 第17話 やさしいコンダニャ

あなたは、なにかすばらしいことをおもいついたとき、いちばんなかのいい友だちに、それを話したくなりませんか。

お悟りをひらかれたときのお釈迦さまが、そうだと言うとすこししつれいですが、天の神さまから、人びとのために、あなたが悟った真理を、おはなししてくださいとたのまれたお釈迦さまは、それならだれに一番に、その真理をおはなししようかと、おかんがえになったのです。そして、むかしいっしょに修行をした、五人のなかまたちに、おはなししようとおかんがえになりました。かれらがいたのは、サルナートというところ、その後、“初転法輪(しょてんぽうりん)”といって、お釈迦さまがはじめて教えをとかれたばしょとして、ゆうめいになりました。

そのサルナートまで、はるばるあるいてこられたお釈迦さまを、五人のなかまたちは、しらんふりしました。それはかれらが、お釈迦さまのことを、うらぎりものだとおもっていたからです。でも、そんなかれらの心の中をみぬけないお釈迦さまではありません。しずかに、サルナートの森の中にはいられたお釈迦さまは、おっしゃいました。「しばし修行をやめて、わたしの話をきいてもらいたい。」そのこえがあまりにも、すみきっていたので、五人のなかまたちは、おもわずお釈迦さまのところによってきました。

それは、ながいあいだつづけていた修行に、かれら自身も、ぎもんをもっていたからです。「あなたたちは、ただじぶんがすくわれたいとおもって、修行をしているのですか」そうかたるお釈迦さまのことばに、みんなドキンとしました。「わたしも、さいしょはそうでした。だけど、わたしはいま、じぶんにこだわってしまうことが、まちがっているとわかったのです。じぶんというにんげんは、“縁”によって生かされているのです。“縁”とは、“これがあれば、あれがある”ということです。」これをきいて、

「わかりました。“縁”とは、すべてを生かすものなのですね。たとえば、わたしの心にはなしかけてくださる、あなたのやさしさのように」とこたえた男がいました。この男はコンダンニャという人です。

そのこたえに、ニッコリほほえまれたお釈迦さまは、「そのとおり、よくわかってくれましたね、コンダニャ」とおっしゃいました。かれは、お釈迦さまのおでしさんのなかで、さいしょにお悟りをひらいた人だといわれています。でも、はやくお釈迦さまのグループから、はなれてしまった人だともつたえられているのです。それはかれがお釈迦さまよりも、としうえで、舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん)という若いおでしさんさんたちがあらわれたとき、そのかつやくをこうはいにゆずろうとしたためだともいわれています。

湖のちかくで十二年間、ひとりでしずかにくらしたコンダンニャは、お釈迦さまにおわかれをつげると、だれにも知られずになくなったそうです。ただ、森の象たちだけが、コンダンニャのこころがわかっているかのように、かれのさいごをみまもっていたといいつたえられています。

(J・N)

第十八話 水をまぜたミルク

新・仏教説話 第18話 水をまぜたミルク

“水増し”ということばがあります。量をごまかし、他のものをまぜて、人びとをだますことです。もちろん悪いことです。今でも、水増しのお金をもらおうとしたり、してもいない仕事の報告をしたりして、大きな社会の問題になっています。

こんなずるがしこいやり方を、人間はいつごろから始めたのでしょうか。そんなことを考えていたら、ある話を、お釈迦さまのおしえが書かれた本の中で見つけました。

むかし、インドのある町にミルク売りの、おばあさんがいました。来る日も来る日も、町かどに立ってミルクを売るのですが、そんなにもうかりません。なんとかして、もっとかせぎたいと思ったおばあさんは、ミルクに、ほんのちょっとだけ水をたして、ぶんりょうをふやしたのです。そうすると、ほんのちょっとだけ、もうかりました。

これはうまくいったとおもったおばあさんは、さらにもうすこし水をふやしました。するとまた、もうすこしお金がもうかりました。こうなると、おばあさんはミルクを売ることより、お金もうけにむちゅうになってしまいます。

ミルクはどんどん水っぽくなり、町の人びとも、何かへんだなと思うようになりました。そこで、これはいけないと思ったおばあさんは、かせいだお金を宝石にかえて、夜中に町からにげだそうとしました。そして町はずれの川をわたったとき、うっかりと、宝石の入ったふくろを川におとしてしまったのです。

さあたいへん!おばあさんはひっしになって、川の中をさがしました。でも宝石は見つかりません。とうとう夜が明けてしまい、ぐったりしたおばあさんは、川ぎしにすわりこんでしまいました。

ちょうどその時、お釈迦さまが、ちかくをお通りになったのです。

それに気づいたおばあさんは、いっしょにさがしてほしいとたのみました。でも、みんなお見通しのお釈迦さまです。ひとこと、「おばあさん、わるいおこないの報いは、こういうものですよ」とおっしゃったのです。そして「人は、知らず知らずにあやまちを重ね、悪いおこないの水にのみこまれる。

あなたがミルクに水をまぜたために、あなたは大切にしたものを、水に流されたのです。流された宝石は、あなた自身の未来のすがたであると気づきなさい。」とおしえられたのです。

そのあと、このおばあさんは、はんせいをし、町にもどって、人びとにあやまって歩いたといいます。お金もうけは、別に悪いことではありません。でも、「儲け」という漢字を横にわけて読んだら「信者」になるんだと、かってなことをいって、自分だけが良いおもいをするために、人びとから金を集めることばかりをかんがえている新興宗教の教祖さんもいます。これでは、今の話に出てきたおばあさんとかわりありませんね。悪いおこないの水の中に、のみこまれてしまわないようにして、生きたいものです。

(T)

第十九話 お説教は命がけ

新・仏教説話 第19話 お説教は命がけ

お釈迦さまのお弟子さんに、プンナという人がいました。お経の中では、富楼那(ふるな)という名前が出ています。たいへんお説教の上手な人だったようで、説法第一といわれる十大弟子の一人です。だからこの人のように、ありがたいお説教ができたらいいなと思います。

でもこのプンナは、決してありがたいと思われるような所では、お説教をしなかったのです。

ある日のこと、彼は、お釈迦さまのいらっしゃる竹林精舎に出掛け、「しばらくの間、お休みをいただきとうございます」と申し出ました。竹林精舎では、みんなが教えを正しく守り、一生懸命に修行に励んでいました。

「ここを出て、どこに行こうというのだね」と、お釈迦さまは、プンナにおたずねになりました。「西の方に行こうと思います」、こう答えるプンナに、「その地方の人たちは、とても気性が荒くて、仏の教えなどあまり聞かないそうではないか」とおっしゃったのです。弟子を思う気持からすれば、あたりまえの質問でしょう。

「おっしゃるとおりです。でも、私は決心しています。たとえ私の話を聞かなくても、この人たちは善い人だ。なぜなら、私にまだ暴力をふるったりはしないからと」「では暴力をふるわれた時は、どう考えるのだね」「その時でも、この人たちは善い人だ。決して私を殺してはいないのだからと受けとめます」そう答えるプンナに、お釈迦さまは、「じゃあもし、殺されそうな時は?」と厳しくお問いになったのです。

「たとえ殺されたとしても、私は後悔しません。この人たちは善い人だ。仏のみ教えのために、今、私に試練を与えてくれたのだと思いましょう」と答えました。

なんて立派な心掛けでしょう。いえ、そんな心掛けが無ければ、仏の教えを説けるものではないと、お釈迦さまはお教えになっているのかもしれません。どんな時にも相手を許し、信じ抜くことこそが、人の心を開く一番の良い方法だからです。「よろしい、そこまでの気持ちがあるならば、西の方へ行くがよい」そういって、お釈迦さまはプンナの願いをお許しになりました。

考えてみれば、仏さまの教えに無関心な人の心を目ざめさせてこそ、ほんとうのお説教をしたと言えるのではないでしょうか。

「教えを広めようとする者は、サイの角の一つあるがごとく、一人でその道を歩むべし」とおっしゃった、お釈迦さまのお言葉が、心にしみてきますね。

(J・N)

第二十話 足を洗った水

新・仏教説話 第20話 足を洗った水

やくざな生活に見切りをつけて、まともな生活をすることを「足を洗う」と言いますね。これは、身に染みついた汚れやホコリを払って、人生をやり直すということから来ているのでしょう。

ところで、お経の中に、「足を洗った水は、飲み水にはならない」という言葉が出て来ます。

ある日のこと、お釈迦さまをたずねて、一人の男の人が竹林精舎にやって来ました。最初に会ったのは、お釈迦さまの一人息子のラーフラです。頭を丸めていたとはいうものの、まだ十二、三歳の腕白盛り。「お釈迦さまは、今どちらにいらっしゃいますか」との問いに、「この道をずっと登っていった霊鷲山です」と答えました。

霊鷲山というのは、お釈迦さまが、お弟子や信者の人々を集めて、お説教をなさるお山です。男の人は、ラーフラにお礼をいうと霊鷲山へと向かいました。その後ろ姿を見送りながら、ラーフラは、「ウフフ・・・」と笑いました。

その日、お釈迦さまは、霊鷲山ではなく、町に托鉢にお出かけだったのです。「山に登ったら、誰もいないのでびっくりするだろうな」そんなラーフラのいたずらを知ってか、知らずか、ちょうどその時、お釈迦さま一向が托鉢からお戻りになったのです。ラーフラは、急いで水桶をお持ちしました。その水で足を洗われたお釈迦さまは、実に気持ち良さそうです。ラーフラは、そんなお釈迦さまのお顔を見るのが大好きでした。

ところがその後、お釈迦さまは、ちょっと厳しいお顔になって、こんな言葉を口になさったのです。「ラーフラよ、そなたは、私の足を洗った水を飲みたいと思うだろうか」ラーフラはびっくりして「えっ」と聞き返しました。すると「おそらくはそうは思わないであろう。それなのにそなたは、悪意に汚れた言葉を人に飲ませてしまった」とおっしゃいました。お釈迦さまは、ラーフラのした行いをすべてお見通しだったのです。

ラーフラは、大声をあげて泣き出しました。「ごめんなさい。ごめんなさい!」といって泣いたのです。その大粒の涙が大地に落ち、土に吸い込まれて行きました。お釈迦さまは、その涙の落ちた所に、足を洗った水を流されました。「たとえ汚れた水でも、大地に戻れば恵みの水となるように、そなたの過ちも悔いの涙に清められ、心の糧となるであろう」こう諭されたラーフラは、それ以後、決して他人をからかったり、ウソを言ったりしなかったそうです。

足を洗うとは〝心を洗う〞ということなのですね。

(J・N)

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