新・仏教説話 第十一話-第二十話

第十九話 お説教は命がけ

新・仏教説話 第19話 お説教は命がけ

お釈迦さまのお弟子さんに、プンナという人がいました。お経の中では、富楼那(ふるな)という名前が出ています。たいへんお説教の上手な人だったようで、説法第一といわれる十大弟子の一人です。だからこの人のように、ありがたいお説教ができたらいいなと思います。

でもこのプンナは、決してありがたいと思われるような所では、お説教をしなかったのです。

ある日のこと、彼は、お釈迦さまのいらっしゃる竹林精舎に出掛け、「しばらくの間、お休みをいただきとうございます」と申し出ました。竹林精舎では、みんなが教えを正しく守り、一生懸命に修行に励んでいました。

「ここを出て、どこに行こうというのだね」と、お釈迦さまは、プンナにおたずねになりました。「西の方に行こうと思います」、こう答えるプンナに、「その地方の人たちは、とても気性が荒くて、仏の教えなどあまり聞かないそうではないか」とおっしゃったのです。弟子を思う気持からすれば、あたりまえの質問でしょう。

「おっしゃるとおりです。でも、私は決心しています。たとえ私の話を聞かなくても、この人たちは善い人だ。なぜなら、私にまだ暴力をふるったりはしないからと」「では暴力をふるわれた時は、どう考えるのだね」「その時でも、この人たちは善い人だ。決して私を殺してはいないのだからと受けとめます」そう答えるプンナに、お釈迦さまは、「じゃあもし、殺されそうな時は?」と厳しくお問いになったのです。

「たとえ殺されたとしても、私は後悔しません。この人たちは善い人だ。仏のみ教えのために、今、私に試練を与えてくれたのだと思いましょう」と答えました。

なんて立派な心掛けでしょう。いえ、そんな心掛けが無ければ、仏の教えを説けるものではないと、お釈迦さまはお教えになっているのかもしれません。どんな時にも相手を許し、信じ抜くことこそが、人の心を開く一番の良い方法だからです。「よろしい、そこまでの気持ちがあるならば、西の方へ行くがよい」そういって、お釈迦さまはプンナの願いをお許しになりました。

考えてみれば、仏さまの教えに無関心な人の心を目ざめさせてこそ、ほんとうのお説教をしたと言えるのではないでしょうか。

「教えを広めようとする者は、サイの角の一つあるがごとく、一人でその道を歩むべし」とおっしゃった、お釈迦さまのお言葉が、心にしみてきますね。

(J・N)

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