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No.023 <M O T T A I N A I(もったいない)>  

  もったいない(MOTTAINAI)。そんな日本語が、世界共通語として広まりました。これ は、2005年2月に毎日新聞社の招きで日本を訪れていた、元ケニア環境副大臣ワンガリ・マータイさん(故人)が、この言葉を知って使い始めたことから始まっています。
 マータイ氏は、環境を守っていくことが土地を豊かにし、人々を貧困から解放し、それが平和につながるとして、とにかく自分のできることから行動することが大きな環境問題に取り組むことになると、植林活動推進に尽力し、昨年ノーベル平和賞も受賞しています。
 資源の有効利用を、ゴミを減らす(リデュース)、資源を有効に使う(リユース)、再利用(リサイクル)の考えとして提唱しており、それらに日本語の『もったいない』がぴったりということから、『MOTTAINAIキャンペーン』を展開しています。
  『もったいない』という言葉には、単純に使うことを惜しむだけではなく、粗末に扱ったり有効に使われないことを惜しむという意味があります。
 エネルギーを無駄使いしないこと、限りある資源を有効に使うのはもちろんのこと、無駄なく使い切ることは『もったいない』の精神に通じています。
 その言葉に込められた意味を大切にし、地球上にいる全ての生き物の源となる、地球の健康管理をしていかなければ、全ての生き物が風邪を引いてしまうとい うことになってしまうのではないでしょうか。世界中がMOTTAINAIで溢れれば、世界は救われるかもしれません。

No.022 <母の思い出 ~母の告別式の朝 記す~>  

  父が早く亡くなって、母は務めに出るようになった。当時、日本では、まだ余り、母親が務めに出ることはなかった。だから母は、恥ずかしい思いをしながら、務めに出たと思う。 僕は、小さかったので、母が何の仕事をしているか、知らなかった。
 それが、確か、中学1年の時、大人用の自転車を買ってもらって、京都市内一周を近所の友達5人程でしたりするように成った時の事だった。その自転車は、勿論、中古だったけれど、僕は、それを大切にして、よく油で磨いては、乗っていた。 近所の一番親しい友人に、小学校まで同級だったS君がいた。

 ある日、僕はS君を誘って、母の勤務先へ遊びに行くことにした。土曜日だった。 前の日、母に言っておいて、2人で出かけた。京都中央電報電話局である。母が、守衛さんに言ってくれていたので、守衛さんは、すぐ、母に伝えてくれた。母に案内されて、僕達は、母の働いている部屋へ入った。自動の電話交換の大きな機械が、カシャカシャと音を立てていた。僕達の初めて見る部屋だった。母は、紺色の作業服を着て、ズボンを履いていた。母の側に、水の入ったバケツがあって、雑巾が一つ掛けてあった。母は、「交換機には、ホコリが一番困んのや。そやから。私は、ここで毎日、配線の上に付くホコリを拭いたり、掃除したりしてんのや」と、少し恥ずかしそうに、2人に説明してくれた。僕は、少し、顔が赤く成った。
「Uさんの子か?」
男の人が聞いた。
「はい。中学1年です。・・・今日はいっぺん遊びに来たいと言いまして・・・」
母は、自分より歳のずっと若いその男の人に答えていた。
「ようできんにゃろ?」
「いいえ、そんなことはありません。」
母は答えた。
それから、2人を、食堂へ連れて行ってくれた。社員食堂で、僕達は、うどんを食べさせてもらった。そのあと、どのようにして帰ったのか、僕は覚えていない。

 S君も、それから後も、この事は、何も言わなかった。今、思い出してみると、この頃からだろうか、僕は勉強をするようになった。  (N・U)

No.021 <足の裏>

  あなたは、足の裏に感謝したことがありますか。ちっとも目立たないけど、一番大切な役割を果してくれている足の裏。ながめれば、ながめるほど、私は足の裏に宗教的な意味を感じるのです。私の女房の足の裏は、結婚する前は、自慢していいほどツルツルだったそうです。それがお寺にお嫁に来てから、ガサガサになってしまいました。靴下は、履けば三日と持たないし、脱げば足の裏はまっ黒になってしまいます。「こんなことなら、あんたと結婚するんじゃなかった」と彼女はボヤきます。
実際、お寺の中で生活するのは、一日中、運動場を走り回っているようなもの。そんな時私は、「だから結婚前は『女中がわりに来るようなもんだ』と言ったじゃないか」と言い返すのです。「お寺は姑千匹、口のうるさい、じいさんやばあさんが大勢来るところ、俺の嫁さんになったのが運のツキと諦めろ」と大見栄を切るものの、心の中では「ありがとう」と感謝しております。そんな時、私はふと仏教詩人・坂村真民さんの『尊いのは足の裏である』という詩を思い出すのです。

1
尊いのは
頭でなくて
手でなくて 足の裏である

一生人に知られず 一生きたない処と接し
黙々として その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ

2
頭から 光がでる まだまだだめ
額から 光が出る まだまだいかん
足の裏から 光が出る
そのような方こそ 本当に偉い人である

 真民さんはこう教えてくれているのです。
 仏教の教えの中に「給仕第一」という言葉があります。何よりも、まず他人に仕えることを旨とせよという意味です。今流に言えば、奉仕の精神ということになりましょうか。ボランティア活動とかホームヘルパーとか、私たちのまわりには、地道な仕事をコツコツとしている人がたくさんいます。
 そんな人に出会うと、『働く』という本当の意味は、自分のことよりはたの人を楽にさせてやることなんだなとつくづく思います。 (J・N)

No.020 <お宮に祀られた"観音さま">

  信者の老女が、山のお宮に観音さまのお社を、建立寄進することになった。私にも出席してほしいと言う。
 「お宮に観音さま?」
お寺というのなら分かるけど、どうも合点がいかない。それでも興味は津々、女房と二人出かけることにした。神社に招かれるなんて、滅多にないことだからである。 境内には、総工費一千万円というお社が、見事に完成されていた。
 「お社に入った観音さまか」
手は合わせたものの、なんとなくピンとこないのである。やがてドンドンピーヒャララという音と共に神事が始まった。来賓の私は、神官の真後ろにすわった。
 祝詞が終わり、玉串奉奠、二礼二拍して、心の中でお経を唱えた。
 まさか神事の最中、大きな声で読経をするわけにもいくまい。
 「和尚さまには、後でお経をあげていただきますから」
と老女に頼まれていたから、ここはおとなしくしていようと思ったのだ。
 ところが神事が終わった途端、
 「それでは引き続き、ただ今より仏式による開眼入魂式を挙行します」
と司会者が言った。
 びっくりしたのは私である。神官には内緒で、こっそり読経するものだとばかり思っていたからだ。
 あわてて法衣に着がえ、袈裟をつけると、「それでは負けてなるものか」とハリキッて読経した。
 すると女房が唱和した。女房だけではない。お経になると参拝者のほとんどが、声を出していたのである。
 私は感激した。これが、お宮の境内地での出来事だっただけに、いいようのない感動を覚えたのだ。
 そして、式次第の中に、仏事を入れてくれた神官の心の広さにも敬意を表した。
 「日本は古来、神仏は一体なんですよ。神さまでも、ありがたいお経は喜んで受け取ってくださる、わしはそう思っとります。だから、うちのお宮に観音さまがいらっしゃったら、お詣りも多くなるんじゃないですかの。ワハハハッ」
 老女は、この神官の性格を見抜いていたのだろう。
 神仏世界の統一とは、まさにこのことだろうか。 (J・N)

No.019 <学習塾へ物申す>

  息子が小学生の頃だった。全国チェーンの算数教室の本部から偉い講師の先生が来て話をするので、父兄に出席してほしいといわれた。
 父兄会といっても、昔から子供のことは母親が行くものと思っていたから関心がなかったのに、なぜか父親の私に話を聞いてほしいとの連絡である。
 仕方なく会場のホテルに出かけたが、案の上、場内は女性でいっぱい、男は麦飯の麦程度の人数である。だからだろうか、わざわざ前の方の席に案内さ れた。
 大阪から来たという講師が、得意満面に話を始めた。教育関係者というよりは、会社の営業課長という感じの男である。彼は、早期教育がどれほど大切であるか、そしてその会社(失礼)いや教室が、いかにそのために貢献しているかと話し続ける。算数のみならず、国語、英語と、彼の話によれば、指導に従っていけば、必ず親の願いは叶うという。
 うちの息子を見るかぎりガマの油売りより信じられない話だ。そう思いながらじっと時間の経つのを我慢していたら、彼は「みなさん、これからの時代は、学校を当てにしてはいけません。頼りにすべきは、私たちの教室です」といって「寺小屋」という字を黒板に書き、「この寺小屋式の教室こそ子供たちの実力を養成するのです」とトーンを上げた。
 母親たちは蛇にみこまれた蛙のごとく、シーンとして話を聞いている。
早く帰りたいと思った。でも前の方の席では立つというわけにもいかないでは ないか。
 「何かご質問は?」という司会役の女性、彼女が息子の担任なのだが、私をノ ミネートした。こうなったら、うさ晴らしである。
 「失礼ですが、あなたがお書きになった寺小屋という字は、寺子屋の間違いです」そう先制パンチを喰らわせた。そして「学校を当てにするなというような発言は不愉快です」と抗議した。「世の母親たちはそれでなくても学校不信に陥っていま す。親が学校を信頼せず、塾に頼りきりになるのが、正常な教育の姿と思います か」。私自身九ヶ年、学習塾をやった経験があるから、講師の言い分が分からな いわけではない。しかし父親としての立場は、また違うのだ。
 「塾はあくまでもヤミの学校、その認識をもって指導してもらいたい」
 当然のこと、その場はシラケた。ただありがたいことに、私の他にも同種の発 言をしてくれた父親がいた。
 それにしても、我が子のこととなると集まってくるこの母親たちのエネルギー はすごい。鬼子母神顔負けである。ひょっとしたら、学習塾というのは、現代社 会が生み出した別種の新興宗教といえるかもしれない。このエネルギーを吸収出 来たら、お寺の社会的復権も夢ではないのに。
 帰り道の私は一人、そんなことを考えたのである。(J・N)

No.018 <合掌で光を>

 合掌とは、古来よりインドで行われた礼法で、今日でもインド、タイ、ビルマ等では、仏さまを拝むときだけでなく、隣人どうしの挨拶に使われています。これは相手に対し、尊敬の念を示す姿を表現したものだからです。
 手にはいろいろな表情があります。相手の姿に惜しみない賞讃を送る拍手、相手の気持に共感を示す握手、相手に限りない感謝をあらわす合掌、なかでも合掌は相手に対して尊敬の心をもって礼拝するという意味も持っています。
 人の心には、千差万別の世界があります。
例えば、人が地獄と極楽の心を併せ持っているように、そのどちらを見つめて生きるかは、個人の自由ですが、できれば限りなく大らかな世界を願う生き方をしたいものです。

 両手を合わせる 両手でにぎる
 両手で支える 両手で受ける
 両手の愛 両手の情
 両手合わしたら喧嘩もできまい
 両手に持ったら壊れもしない
 一切衆生を両手に抱け

 (詩 坂村真民)

No.017 < 家に帰るわよ >

 「女は三界(この世の中)に家なし」と言う。
 本当だろうか。私なんかは、「女は三界に家二つあり」と訂正したくなる。
 なぜって? それは時々、女房が口にする「家に帰って来ようかな」という言葉に引っかかりを憶えるからである。そんな時、「家って、お前の家はここじゃないか」と私はからんでみる。すると女房は、「ここは嫁に来た処、向こうは生まれた家」と平然と答える。この寺で生まれ、この寺で育ち、この寺を継いだ私には、家は一つしかない。しかし、女房は違う。里の酒屋は両親も健在だし、兄妹も近くにいる。「父ちゃんは、私に店を継がせたかったんよ」自称看板娘だったという話は、耳にタコができるほど聞いている。
 それは、それでいい。だけど夫婦間の貿易交渉が決裂した時、決まって出されるスーパー三○一条のような「いいもん、私にはいつでも帰れる処があるんだから」という言葉は許せない。許せないけど耐えなければ、制裁は実行に移しかねられないから、夫たる者、 忍の一字 で嵐のおさまる時を待っている。
 別に露悪趣味で、これを書いているつもりはない。ただ、うちの女房をダシに、女の本性というものに考察を加えてみただけだ。そして、この切り札があるが故に、女は嫁いだ家にも根を下ろし、やがて二つの家を持つ存在となるのではないだろうか。
 というのも、実は回向まわりに行った家で面白い話を聞いたからだ。
 その家の奥さんは、海を隔てた四国から嫁に来ている。その奥さんがこんなことを言ったのだ。
 「子供がね、私に言うんですよ。『お母さん、四国へ行く時、帰るって言うだろう。それなのにこっちに帰る時も、帰るって言うよね。どうして?』って」
 私は思わず吹き出した。彼女にとって、どちらに行くことも、帰ると表現しても、なんの矛盾もない。その点では、女房と同じだ。だけどこっちで生まれ育った彼女の子供にとっては、まったく理解しがたい言葉なのだ。彼らにとっては、たとえ母親の生家であろうと、そこは自分たちの古里ではないのである。
 「ザマー見ヤガレ」こんな品のない言葉は、もちろん、口には出さない。だけど、この素朴な質問には双手を挙げて賛成する。
 「たとえ娘の産んだ子でも、外孫は外孫でしかありませんよ」あるお婆さんが言ったそんな言葉を思い出したのも、この時だった。
 そこで寺に帰ると、さっそく私は、女房にこの話の一部始終を話したのである。ところが、女房の方は、またも平然としたもの。
 「子供は、自分たちの生命のルーツを知らないから、そんなことを言うのよ。子供にしたって、よく考えれば、生命の古里はお母さんの家にもあるということがわかるんじゃない」なんとも女性は、直感的な生き物である。
 「だって、仏さまを信じることだって、帰依とか帰命と言うじゃない。つまるところは、みんな帰る処を求めていると言うわけよね」と。
(M・N)

No.016 <女房が風邪で寝こんだ時>

 女房が、流感にやられた。熱が九度近くあると言う。
 「お霊供膳どうしよう」とフトンの中から尋ねてきた。
 「うん、一日くらい抜かしてもいいんじゃないか」と私はナマ返事をした。
 いつもは私より三十分は早く起き、朝の支度をするのに、あんな弱音を吐くのだから、今朝はよほどまいっているのだろう。
 そう思って台所に入ったが、はたして、仏さまにご飯を食べさせなくてもいいものかどうか迷った。
 結婚以来、飯の支度など一度もしたことのない私である。自分はパンでもかじっていれば済むが、仏さまにはそれもなるまい。
 そんな思案をしながら、ふと見ると、炊飯ジャーのランプが光っている。
 フタを開けると、なんとご飯がふっくらと炊き上がっているではないか。
 そういえば、「米、俺が磨いでおくから早く寝ろよ」と息子が、女房に言ったとか。
 「それに較べたら、あんたは、ちっとも優しくないわね」と言われた言葉まで思い出してしまった。
 「なんの俺だって 」そう決心してお霊供膳を並べたが、はてさて何をお供えしたものか。
 そこで鍋を開けたり、冷蔵庫をのぞいてみたり。
 「あった、あった」
 味噌汁も、豆の煮物も、それに生野菜も刻んだのがパックしてある。
 まるでママゴトのような作業が始まった。やれば、それなりに楽しい。
 起きて来た息子に「おい、父子家庭でも、なんとかやって行けるぞ」と言うと、息子はニヤッと笑って学校へ出かけた。
 こんな時に娘がいればと思わないでもないが、今さら言っても始まるまい。
 楽しいとは書いたものの、こんな作業を毎朝やらされるとしたら、たまったものではない。(ちょっと不謹慎。多謝。)なんとか格好だけはついたお膳を上げ、礼盤に座った時「同じ上げるでも、お経を上げる方がずっと楽だな」と、思わず本音を吐いてしまった。
 それにしても女性の仕事はたいへんだ。炊事、洗濯、掃除、数えればキリがない。
 だから仏さまは、せめて食べる事だけでも楽をしようと毎朝、托鉢に出かけられたのじゃないだろうか。
 まことに不謹慎にも、お勤めをしながら、私はそんな問いかけをしてしまった。
 勿論、仏さまは「ノー」というお顔をなさっておられる。
 だけど時代は変わった。あの時から二千年も経っている。お寺にいても、今は、お互いご飯にありつけるのだから。
 そう言って仏さまに、答えを求めると「そうだね」と肯かれたように思えた。

それなら「今朝はこれで辛抱してください。たまには女房のありがたさが分かることも、これまた修行になるんじゃありませんかね。」と言った気もする。
 だけど、これ以上はよそう。しょせん男の私の言い訳なのだから。
 事実、事の次第を聞いた女房は、「全部、あんたが上げたのは昨日の残り物じゃない」とあきれ顔。「明日はやっぱり私がする」とゴホンゴホン言いながら宣言した。
 寺に女性は不可欠。そう聞けば、きっと仏さまもひと安心なさっているに違いないかなと思った私ではある。
(N・N)

No.015 <お寺まいりのすすめ十箇条>

1.辺を過ぎて詣ずべし
お寺の近くへ来たらお詣りしなさい。

2.暇をつくりて詣ずべし
間をみてお詣りしなさい。暇は無いのではなく作るのです。

3.思いたくば詣ずべし
思いたったらお詣りしなさい。静かに考えるところです。

4.迷いあらば詣ずべし
悩み・心配ごとがあったらお詣りしなさい。

5.憂いきわまって詣ずべし
どうしていいかわからなくなったらお詣りしなさい。

6.志たたば詣ずべし
大事な計画や決断のあるときお詣りしなさい。

7.喜びごとあらば詣ずべし
うれしいことがあったらまっ先にお詣りしなさい。お寺は悲しいときだけ来るところではありません。

8.忌日命日に詣ずべし
自分の気持ちからすすんでお詣りしなさい。

9.招かれて詣ずべし
お寺や知人などのすすめがあったら絶好の機会です。嫌がらずにお詣りしなさい。

10.正法を求めんとして詣ずべし
お寺は正しい道を求める大切なところです。心を磨き、生きる力を与えていただきましょう。

●お寺は、こころのふる里です。

No.014 <我が子が寺を継ぐ・・・親の本音を言いましょう>

 息子に後を継いでもらいたい。これは親たる者の本音である。
 しかし、その本音を言えば、猛反撃に遭いそうな今のご時勢。私も、息子が幼い時は、「おまえが選ぶ仕事なら、俺は何も言わない」と理解のあるような振りをしていた。いや理解があるつもりでいた。だから会議に出ても「世襲化こそは、宗門衰退の元凶である」などと吹きまくっていた。
 その説を曲げようとは思っていない。しかし、去年の夏、息子がシブシブながら得度し、頭を丸めてくれた時には、泣きたいほど嬉しかった。
 「親爺は、言う事とする事が、ぜんぜん違う」そう批判されようとも、うれしかったのだから仕方ない。息子が気が変わらないうちにと、この歴史的事実を檀家に吹聴してまわり、法要の席でも公表した。
 「よかったですね、これでご安心ですね」と言ってくれる人が多い。
 しかし、中には、「お寺の子は可哀想ですね。後を継がなければならないなんて」と息子に同情する人もいないわけではない。
 いやあ、最も同情しているのは、わたし自身かもしれない。
 息子の年の頃、私は、どんな事があっても坊さんにだけはなりたくないと思っていた。だから宗立大学の仏教学部の受験料を親からもらうと、願書を出す振りをして、全部パチンコに使ってしまったことがある。
 そんな事を、まさか息子には言えるはずもない。
 「得度した以上、道は一すじ、迷わず大学は、宗立をめざせ」と自分とは逆の道を押し付けたのである。そのため、息子が受験勉強をしないことにも目をつむった。ヘタに勉強に目覚めて、他の大学を受験したいなどと言い出したら、こっちの計画はパァになってしまう。
 三年ほど前だったか、知人の坊さんが、「息子が東大にパスしましてね。後を継いでくれないんじゃないかと心配なんです」と、複雑な顔で話したことがある。優秀な子を持つことも、これまた、親の悩みとなるらしい。
 女房なんかは、「そんな悩み、一度でいいからしてみたい」と言うが、瓜の蔓に茄子はならぬ。
 かくして、息子はこの春、めでたく宗立大学の仏教学部宗学科に入学が決まった。
 こうなれば次の作戦は、学寮に入れることである。経済的にも助かるが、厳しく僧風教育をしてくれることが何よりありがたい。
 その説得には、私ではなく、私より二つ年上の、私の弟子があたった。
 「寮に入って、ちゃんとした教育を受けた方がいいぞ。あんたのお父さんは、アゴはいいけど、作法がまるっきしダメだもんな。おいちゃん、弟子として恥ずかしいよ」聞き捨てならないセリフだが、この際、聞き流しにする方が得策のようだ。子は、親を踏み台にして成長するという。たとえ踏み台でもいい。それで一人前になってくれるなら、 世襲化 も悪くないと言える日が来るのではないだろうかと、ただただ期待する私なのである。
(N・N)

No.013 <法事のお勧めは中華料理>

 法事の席の料理と言えば、どこも似たり寄ったり。施主には申し訳ないが、どんな料理も、さほど食欲はそそらない。
 そんな事を思っていたら「和尚さん、来月のうちの三回忌、料理はどんなものにしたらいいでしょう」との相談を受けた。こんな相談は、実に稀である。稀だからこそ、逃す手はない。
 「去年の一周忌は会席膳だったよね。それなら、いっその事、中華にしたら」
 相手は、びっくりしたような顔をした。亡くなったお婆ちゃんが、やかましい人だっただけに、それではお客に失礼になるのではという不安が走ったようだった。「一人ひとりのお膳じゃなくていいんですか」
 当然の事ながら、そんな質問が返ってきた。「何人おまいりに来るか分からんのだろう」、うなづく相手に、「それなら中華の方が融通がつくよ。取り皿と箸を増やすだけでいいんだから」と自分の考えをゴリ押しした。
 それだけに法事の当日、この作戦が吉と出るか否か、施主以上に私の方が 気を揉んでしまった。中華は、和食と違い、あたたかくなければ、その魅力は半減してしまう。紹介した店が、時間通りに届けてくれればいいがと気が気でならなかった。だから日頃なら、平気で遅刻する私も、この日ばかりは、時間励行した。
 無事に供養も終わり、料理も、ほどよく着いた。後は配膳を待つばかりと思ったら、なんと取り皿と箸を忘れて来たと言うではないか。
 それからがテンヤワンヤ。家中の皿と箸を持ち出す破目になったから、作戦参謀としては立場がない。それでも一応の用意ができたところで、施主の方から、「なにもお口に合う物はありませんが」と紋切り型の挨拶がなされた。
 日本人は、どうして、いつもこうへり下って心にもないことを言うのだろう。それに、本当に口に合わなければ、こちらの面目も丸つぶれになる。
 そこで、いちばん上座に座らされた私は、一言ご挨拶申し上げることにした。
 「本日のメニューは、不肖私の提案でございます。法事の席に、こんな料理をとお思いの方もあるやもしれませんが、供養の後は、美味しい物を食うようにとのアイデアです。それでは頂きましょう。乾杯 」と言いかけて、この「乾杯」という言葉を訂正した。
 「先日、いい話を聞きました。こんな席では、乾杯という言葉は、感情的にどうもピッタリしないと言うのです。それでは、どう言えばいいのか。その人が提言しました。なくなった故人に〈 献盃 〉というのはどうだろうかと。私たちもこれに習って、献盃とまいりたいと思います。献盃 」 どうやらこれで、坊さんとしての面目も立った。同時に、席も立った。なんと言っても日曜は忙しい。次の家の法事が待っていたからだ。
 だから、「和尚さんのアイデア勝ちでしたね」そんなお礼の電話をもらったのは、翌日のことだったのである。
(N・N)

No.012 <坊さん臭い>

  「味噌の味噌臭いのは安い味噌」という言葉があります。「どういう意味だ?」と尋ねたら、「坊さんの坊さん臭いのは、つまらない坊さんということだよ」という答えが返って来ました。
思わずドキッとすると、相手は「臭いと、とかく鼻につくからね」といってニヤッと笑いました。
相手というのは、小学校時代からの友達です。「おまえが近頃えらそうな事ばかり言うから、ちょっとからかってみたんだよ。釈迦に説法だったかな」と言う彼に、「いや、その通りかもしれないな」と私はお礼を言いました。
 お寺の住職として生活していると、まわりの人は「和尚さん」と持ち上げてはくれても、なかなかこんな批判はしてくれません。それでいい気になっていると、思わぬ失敗をしてしまうものです。すると友達が言いました。「実はな、お前にこんな 事を言ったのは、俺自身、今仕事に行きづまりを感じているからだよ。そしたら、ある本で、『褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事にどこか嘘が出る』という言葉を見つけてな。ナルホドと考えさせられたんだ」「いい言葉だね。なんて本だい」と尋ねると、「永六輔の『職人』という本だよ。お前も読んでみたら」と勧めてくれました。
 永さんは、ご存知のように東京の浅草のお寺の次男坊です。だからお父さんはお坊さん。そのお父さんがよく言っていたという言葉が、「私はたかが坊主です。士農工商のどの身分にも入っていないのですから」というものだったとか。「今考えれば、親爺は心底、恥ずかしがっていました。坊さんであることが恥ずかしいのではなく、坊さんとして、まわりから立てまつられるのが恥ずかしかったようです」と思い出を語っています。ひょっとしたら、それが味噌臭くない味噌、いえ坊さん臭くない坊さんになる秘訣なのかもしれません。『職人』という本の中でも永さんは、「職人というのは職業ではなくて、その人の『生き方』だと思っている」と書いています。これは、「坊さんというのは職業ではなく、坊さんとしての生き方を言う」と読み直すこともできます。だからでしょうか、永さんは、自分は職業として坊さんではないけど、坊さんの意識を持っていると語ります。若い頃は手を合わせるのが照れ臭かったのに、今は自然と合掌することが多くなったと言う永さん。その永さんに、昔、お父さんが言ったそうです。「お前の作った歌は『上を向いて歩こう』も、『こんにちは赤ちゃん』もみんなお経だな」と。誰に認められるよりも、どんな褒める言葉よりも、嬉しかったのではないでしょうか。
(N)

No.011 <チャペル ウェディング>

 彼岸の頃だった。説法を頼まれた私は、仲間の和尚と車で近くの町まで出かけた。その時、あるビルの屋上の、異様な建物が目に止った。
 良く見ると、一つはお宮のお社とおぼしき物、もう一つは教会のチャペルだった。しかし間違いないのである。その二つが同じビルに並列して建っている。
「ちょっと見て、見て」
私は運転している友人の膝をつついてしまった。彼は「またか」というような顔でチラッと目を横にやり、言ったのだった。
「知らないの、あれは結婚式場の建物だよ」
「えっ、お宮と教会と並んでいるのがかい?」
「今、流行りらしいよ。両方なければ、客がとれないんだって。」
そう言われて、よく見れば、そのビルには「○○会館」と書いてある。 私は以前、東京の電車の中で見た、某ホテルの広告を、ふと思い出した。
〈当ホテルには、素敵なチャペルも併設しています〉あの時はピンと来 なかったが、今その謎が解けた思いがしたのである。
「要するに式はサービス、そのかわりに披露宴でガッポリ儲けようとい うのが、業者の狙いだからね」今頃、気がついたのかといわんばかりに、 彼は私に話した。
「洋風にやれば文金高島田はいらないから、合理的といえば合理的だよ」
「しかし、若い者がみんなクリスチャンだとは限らないだろう」私には納得がいかない。
「ムードなんだよ、ムード。神さまなんてのは、アクセサリーだという感覚でいるんじゃないか」
ウーン、なんとも許しがたい。日本人のいい加減さも、ここまで来れば将来に大きな禍根を残す。
 そう力んだら「それなら俺たちの寺でも積極的にアピールして、結婚式でもなんでもできるようにすればいいってことか」と彼が突っ込んで来た。
「だいたい君は、批判は鋭いけど、行動は鈍い。活きた仏教を広めたいのなら、もっと社会のニーズに応えるようなお寺づくりをしなければダメだよ」と、自分を棚に上げて、耳の痛いことを言う。でも狭い車の中では、逃げ出すわけにもいかない。 なんとか鉾先をかわす言葉はないかと考えた。
「社会のニーズってのはおかしい。我々坊さんは社会をリードしなけれ ばいかん。お寺は式場じゃない、道場なんだ。俺が目指す寺づくりは、それなんだよ」
しかし、この言葉は私の強がりでしかなかった。なぜなら、仏の教えを信じ、仏前に永遠の愛を誓う、そんなカップルの訪れを、私も待っているんだから。
(J)

No.010 <心の宝珠>

  聖書に「人はパンのみにて生きるにあらず」という名言があります。これは、人間は、物質的な欲望のみで生きてはならない。魂の目覚めがなければ、本当の人生とはいえないという教えです。ところが、どんなに教えが有りがたくても、そればっか りでは、ちっとも腹の足しにはならないと反論する人もいます。たしかにその通りで、生きている悩みは、心と物の両方から起こってきます。
 そんな時、私は観音さまが手に持たれている〈如意宝珠〉のことを思い浮かべます。如意宝珠とは、願いごとが、そのままに叶えられる宝の珠という意味です。そんな珠が実際にあったら、どんなに素晴らしいだろうなと思います。でも、もしそれ を手に入れたら、信仰心はなくなるのではないかとも考えるのです。
 坂村真民さんの〈ねがい〉という詩をご紹介しましょう。
「救世観音さま/あなたが両手で/しっかとお持ちになっておられるのは/なんでしょうか/美しい珠でしょうか/それとも/おいしい握り御飯でしょうか/いまのわたしには/何かそんな食べるものの方が/強く思われて/朝夕あなたのお姿を拝んでおります/救世観音さま/わたしが亡くなりましたあとも/この三人の子供たちに/あなたの温かい/おん手のおにぎりを/恵み与えて下さい/どんな生き死にの/苦しい目にあっても/母と子が飢えずにゆく/一握りの/貴い糧を/分かち与えて下さい」真民さんがこの詩を詠んだのは、戦後まもない頃、頼るべき人もいない四国の片田舎で職を求めていた時だそうです。仏教詩人として名高い真民さんでさえ飢えの苦しみの中からは、一握りの御飯を求めました。観音さまの如意宝珠が温かいおにぎりに見えたのです。誰が、それを責めることができましょう。いえ仏教詩人なればこそ、こんなにも素直に、自分の苦しみを訴えることができたともいえます。「私が死んでも残された妻と子に一握りの貴い糧をお与え下さい」と手を合わせる祈りの中に無限のやさしさを感じます。 同じ頃、発表した詩の中に「かなしみは/みんな書いてはならない/かなしみは/みんな話してはならない/かなしみは/わたしたちを強くする根/かなしみは/わたしたちを支えている幹/かなしみは/わたしたちを美しくする花」という言 葉があります。
 真民さんは、苦しみの中から如意宝珠を磨きだした人だと思うのです。
(M)

No.009 <お経の貯金>

  「布施なき経を読め」という言葉がある。
 坊さんがお経を読めば、檀信徒はお布施を出す。そのお布施で我々坊さんは生 活もし、家族も養っているのだから、お布施はありがたい収入源でもある。しかしそれを、いわゆる労働に対する報酬とのみ考えるならば、我々は大きな 落とし穴に落ち込んでしまうだろう。
 布施は「ほどこし」とも言い、「自分が他 に対してできる事をさせてもらう歓び」を意味する、仏教で非常に大切な 実践徳 目である。それがいつの間にか、坊さんの「ギャラ」を意味する言葉に堕してしまった。まことに恥ずべき事だと言えよう。
 冒頭に挙げた言葉は、そんな坊さんの反省から生まれて来た言葉ではないだろ うか。私自身、先輩から「お経の貯金をしておかないと、罪障にやられるぞ」と言われた事が何度かある。罪障とは、自分が犯す罪や、他からこうむる障害の原因を言うのだろうか。「他人から頼まれて読むお経はあくまで他人のため、自分の徳にはなってないと肝に銘じておけ」
 今となってはその言葉が身に沁みるが、当時は頭の上を素通りしていたなぁ。檀家まわりをして、日に何遍も読んでいるのに、「それ以上お経が読めるか。」そんな気持でいた。だから師父が朝のお勤めをしていても「親爺がやってくれているから、それでいい」と自分は朝寝をし、ずぼらを決め込んでいた。それが二十数年続いていたのだから、私の罪障は溜まりに溜まっていたかもしれない。
 晴れて師父から、住職の座を譲られた時、さすがに私も「今日からは、朝のお勤 めをするぞ」と決意した。しかし、それは何日続いただろうか。原稿書きで夜遅くなったと言ってはサボリ、会議で疲れたと言い訳しては、女房に相手をさせて、その場凌ぎをする日々もあった。その結果 とは言いたくない。しかし、私が交通事故で病院に運ばれたと聞いた時、女房は思ったそうだ。「住職なのに、朝のお勤めをちゃんとしないからだ」と。
 実は私も、入院中、そんなざんげの気持を起こしていたのである。「そんな事、恥ずかしくて檀家の人には言えんだろう」二人っきりになった時、私たち夫婦は語り合った。「でも助かったのは、やっぱり仏さまのお陰よね。いくら偉そうな事を書いても、自分が実行できなけりゃ誰もついて来ないのよ」 女房が、「布施なき経」の真意を知るはずはない。しかし、亭主のだらしない態度に、いつの日か、仏さまの戒めがあるとは予感していたのかもしれない。
 布施とは、報酬がなくても自分のする事に歓びを感じる事だと書いた。檀信徒 の財施に対し、坊さんには法施という言葉が用意されている。
 法施とは、早い話が、仏の教えを人々に伝えることである。その行いなくしては、我々僧侶は、坊さんの資格を失なってしまうだろう。
 まず、朝のお勤めは、ちゃんとしようごく当たり前の事なんだが、今の私には、 それしか言えないのである。
(J)

No.008 <愛、その切なさ>

  人を愛することは、なによりも素晴らしいことです。ところが、愛するが故に、私たちは人間として、もっとも愚かな部分を思い知らされるということもあります。
 たとえば、私は誰よりも自分の子供たちを愛しています。仏さまが「愛することは、迷いのもとだ」とおっしゃろうとも。でも、その大切な子供を、立派に育てたいと 思ったら、やはり仏さまの教えを素直に聞かなければならないのかなと思うことがあります。
 クリスチャン作家として有名な曽野綾子さんが、かつてこんな話を紹介していました。
 それは、今から五十年ほど昔の朝鮮戦争の時のこと、一人の若いアメリカ兵が、負傷し本国に送還されることになりました。故郷では、息子の無事を祈って両親が、その帰りを待っています。本国に着いた彼は、病院から家に電話をしました。
 電話に出たのは、お父さんです。息子の声を聞いたお父さんは、大喜びで「すぐに病院に迎えに行くから」と答えました。その時、息子は「パパ、実は、ぼくの他にもう一人、友達がケガをしてね。彼はぼくよりも、もっとひどいケガなんだよ」と 話しました。「どんなケガだ」と聞くと「両足を切り落されている」と答えました。「お願いだから、パパ、彼も家に連れて帰ってくれないかな、彼には身寄りがないんだ」そう頼む息子に「いいとも」と答えたお父さん。すると息子は「一生面倒みて やってほしいんだけど」と頼みます。我が子のことなら、兎も角も、そんな他人の子供までもと思ったお父さんは「そんなことは無理だよ」といって電話を切ると、急いで病院まで車を飛ばしたのでした。ところが、そこに待っていたのは、愛する息子ではなく、愛する息子の遺体だったのです。お父さんは「なぜ?」と絶叫しました。そして、驚くべきことを知らされたのです。
 両足を失ったのは、友達ではなく、息子自身であったということを。彼は、電話をし終った直後に自ら命を絶ったというのです。再び「なぜ?」とお父さんは叫びまし た。息子からその答えが聞かれるはずもありません。ひょっとしたら、彼は、親をいきなり悲しませたくないために、そんな手を使おうとしたのかも知れません。でも、お父さんは「我が子を愛するように、他人の子をも愛する気持ちがあったならば」と涙を流したそうです。
 愛するが故の悲劇、この話の中に、私は「愛」という心のむつかしさを教えられる気がしたのです。 (S・N)

No.007 「息子の荒行」

 息子が百日間の “荒行” に初めて挑戦し、無事、修行を終えて帰ってきました。髭(ひげ)は、私に似て余り濃くありませんが、それでも一まわり大きくなった気がします。
 そう話すと、「やっぱり親馬鹿だね」と笑われました。でも笑われようと、馬鹿と言われようと、親は子供の成長した姿が、何よりも嬉しいものです。私が初行に入行したのは、二十六年前、その時の苦しい思い出があるだけに、息子の辛さも手に取るように分かるのです。
 修行中、息子のことが心配になって、一度だけ面会に行きました。息子は思いのほか元気でしたが、足は座りダコが破れ、大きな穴が二つもあいていました。「それくらい、たいしたことはない」と励ましたものの、私は顔をそむけました。出かかった涙を見られたくなかったからです。修行を志せば、誰もが体験することだとは知りながら、我が子のこととなると、こうも胸が痛むものなのでしょうか。
 実は、私が二度目に荒行堂に入った時、初行さんたちの教育係になったのです。眠い、寒い、ひもじいという三つの苦しみの中で、疲れてしまった初行さんたちはバテそうになります。そんな時、喝を入れ、初行さんをシゴかなければならないのが私の役目でした。教育される方も大変でしょうが、教育する方も大変なのです。
 相手になめられたのでは、ちゃんとした指導はできません。そこで私なりの工夫をしました。怠けたり、間違いを犯すと、一日に七回の水行の他に、罰として与えるスペシャル水行を考え出したのです。その “スペシャル罰水” が今になっても残っていようとは思いませんでした。「いいか、これを考えついたのは、お前の親爺だそうだからな。俺を恨むなよ」、そう言って先輩さんから罰水を受けた息子は、「なんて親爺だ、ぶん殴ってやりたくなった」と思ったそうです。もっとも、そんな気持を息子が語ったのは、めでたく百日間が終わってからのことです。
 まさか、めぐりめぐって、そんなできごとがあろうとは! 『親の因果が子に報い』と言うのは、こんなことを言うのでしょうか。しかし、そんな先輩さんのシゴキに会ってこそ、息子が逞しくなったのも事実なのです。
 お坊さんのことを “出家” と言いますが、温かい家庭や、親子の甘い関係を離れてこそ、人は自分の人生を切り開く覚悟ができるものです。
 お釈迦さまは、それを私たちに気づかせるために出家という道をお説きになったのかもしれませんね。親である私は、今、しみじみそう感じています。 (N)

No.006 〈遠くて一番近い所〉

 檀家に、弁護士がいる。高校の一級後輩だが、大学に行く時には同輩だった。その彼が「この間、和尚に教えてもらった言葉で、従弟の嫁を慰めました」と言った。
 彼の親爺さんが亡くなってから檀家になったのだが、それ以来、昔馴染みの「ジュンちゃん」でなくて、「和尚」と言う呼び方で接してくれる。
 いかにも法律家らしいケジメのつけ方だが、いい加減な私にとっては、時として窮屈にもなる。
 そこでこの日も「へぇ、俺が教えたって、どんな言葉?」と、ぞんざいな言い方で、これに対応した。
 すると、彼のネクタイを締めたような顔が、バンカラを気取っていた大学の頃の顔に戻った。彼には高校の時、柔道部でシゴキ事件を起こし、停学処分を食らった前科があるのだ。
 余談はさて置き、私のこの言葉に「ほら、親爺が死んだ時、俺に言ってくれたじゃないですか」と、じれったそうに言った。
 噛みつかれては大変と、思い出そうとしたが、いつもいろんな人間に、口から出まかせを言っているので、とんと記憶にない。
「一番遠い所は、一番近い所だと言うあの話ですよ」と言われても、まだ私の脳ミソは何も反応しなかった。
 それを察してか「実は医者をしていた従弟が先日亡くなりましてネ」と彼は話を転じた。「自分で知っていたんですが、ガンでした。すごくいい男だったんです。それだけに嫁の気の落としようといったら、見るも哀れだったんです」
 年老いた両親に先立ち、妻子を残して往った一人の男の無念さは、ほぼ同年代である私にとっても痛いほど分かる話である。
「だから亡くなった人は遠い遠い仏さまの世界に旅立ったけど、その世界は一番近い所にあるんだよと言ったんです」
「一番近い所って?」
「いやだな。自分が僕に言ったんじゃないですか。その人の背中だって。宇宙はまっすぐに前を見つめれば、行きつく所は自分の背中になるんだって。だからご先祖は 背後霊 として、いつも側にいると教えてくれたのは、和尚、あなたですよ」こう言われて、なんとか思い出した。彼の親爺さんが亡くなって、彼があまりにも力を落としていたから「死んだ人は、どこにも往きはしない。いつも生きた人間と一緒なんだ」と言って慰めたことがあったっけ。
 その言葉を、そんなにまで大切にしてくれていたとは。
 そう感激して肯くと「そう信じたいという気持ちが、僕にもあったんでしょうね。あれから素直に手が合わせられるようになりましたから」とも言った。
 その彼が、今度は他人にこの言葉を伝えてくれたのである。(J)

No.005 〈女房の『寺庭だより』〉

 女房が〈寺庭だより〉を出しはじめて、早二年になる。
 ハガキに、その月々に思ったことを書き、コピーをして、檀家の婦人会員に送っているが、なかなか好評だ。
 毎月の掃除や、婦人会の行事にどうすれば出席者が増えるかと考え、思いついたそうだが、目に見えてその効果はあった。この一年でその数は倍になったのである。それどころか、出席はできないけれど、ハガキだけは毎月欲しいという波及効果まで現われ、ご本人は大いに満足しているようだった。
 しかしその頃になると、今度は書く事に行きづまる。
 「ああ、余計な事始めなきゃよかった」そうボヤく女房に「俺が代わってやろうか」 と言うと「みんな、私の便りを待っているのよ、あんたの文章を読みたいわけじゃな いわ」とつっぱった。ナルホド、そうかもしれない。これは 住職の便り ではないとこ ろがいいのだろう。
 貰った方も、宛名が主人ではなく、夫人であるのが嬉しいのかもしれない。女同士の連帯感が生まれようとしているのなら、こちらの入りこむ余地はなさそうだ。
 そう思っていたら、檀家に出かけた時、そこの奥さんから「さすが、お寺の奥さんですね」と言われた。「私、断然ファンになりました。もう、和尚さんはどうでもいい です。これからはお寺も女の時代、私たちも頑張りますよ」こんな発言が出て来れ ばシメタものである。女房のことをほめられたのも嬉しいが、みんなをヤル気にさせているのが、なんとも頼もしい。
 住職といっても、寺にじっとしておれないのが、現実の住職。それならば、寺に尻をどっしりと構え、守っていくのは、むしろ住職の妻の役目だと言った方が正しいのかもしれない。
 そんな女房が今年の春出した〈寺庭だより〉には、こんな息子との対話がネタに なっていた。

 「夕方、息子が学校から帰って来て『お親爺さんは?』と尋ねたので『ちょっと人生相談に出て行ったよ』というと『そんなの俺に聞けば、すぐ答えてやるのに』と言いました。そこで『あんたなら何て答えるの?』と聞いたら『人生、悩んだって始まらん。生命があるだけ丸もうけ』とすました顔。思わず、こちらがドキリ。丸もうけの生命を大切に そんな気持で、お彼岸を迎えましょう」
 これを読んだ総代の爺さんから「奥さん、これ、あんたが本当に書いたのか?息 子さん、こんな事、本当に言ったのか?」と電話があったりで、大ヒット。こうなると 「大変だけどやり甲斐もあるわね」と本人もハッスルした。
 そして一ヶ月後、私が交通事故に遭うというお寺にとっては大事件が突発した。以来、お盆も住職不在というピンチが続いた。
 私は、今や人生相談の解答者どころか、質問者という気分にまで落ち込んでしまっている。
 そんな時、「生命があるだけ丸もうけ」と言うあの母子の対話が、頭に浮かんだ。ベッドの上では素直になる他、道はないのかもしれない。 (J)

No.004 〈お寺の奥さん〉

 「 寺庭婦人 という言葉から、どんなイメージが浮かぶ?」と尋ねたら「お寺の庭掃除のおばさん 」という返事が、女房から返って来た。もう少し品のいい答えを期待していたのに。女という生き物は、現実的なのだろうか。「お寺の嫁さんになったら、奥さん奥さんと呼ばれて結構な身分ですよ」そんな仲人の口車に乗って私と一緒になった彼女の生活実感がそう言わせたのかもしれない。休みらしい休みもない、自由もない。おまけにお寺は、私物じゃない。「これじゃ人手不足を解消するために、お嫁に来たようなものね」と女房は言う。まさにその通りと言えなくはない。
 しかし、それに同意すれば「そんなつもりで結婚したの」と、十何年来の恨みが返って来る。ここは何とかして「寺庭婦人」という立場に付加価値をつけなければ、私の身があやうい。
 そこでお寺の奥さんを意味する言葉を調べてみることにした。すると「梵妻(ぼんさい)」、「大黒(だいこく)」、「坊守(ぼうもり)」という三つの言葉に出食わした。
 「昔、坊さんは結婚できなかったんじゃないの」と横で女房が言う。その詮索はこの際、置いておこう。戒律がどうであれ、歴史的には、女性が寺の中に居た事実が、言葉の中に証明されているのだから。
 しかも「梵妻」の「梵」は「きよらか」という意味、もっと深くは「宇宙の根本真理」という意味さえある。誰が付けたのかは知らないが、素晴らしいネーミングじゃありませんか。坊さんだって男、その胸の内が伝わって来る気がする言葉だ。
 つぎは「大黒」、いわゆる福の神の大黒さまである。大黒さまは天台宗の伝教大使が、比叡山でお祀りしたのがその始まりだと言うが、この神さまは、お寺を守り、生産を司る役目があるという。
 そして「坊守」は、読んで字のごとく、お寺を守る人という意味だ。今でも真宗では、住職の妻たちは「坊守さん」と呼ばれている。
 いずれにしても、女性が寺に入った時、そのパワーが絶大であることは間違いない。だから、寺庭のご婦人たちよ。法のため、寺のため「梵我一如」の精神で、住職に協力していただきたい。ただそう願うばかりなのである。 (J)

No.003 お釈迦さまへの手紙

 それは木枯らしが吹く、大正十二年の暮れ近くのことでした。その年の 九月一日、関東大震災が起こり、東京は半分以上が焼野原の廃墟となって しまいました。
 この大震災で家族を失ってしまった獅子谷虎象さんは、上野のバラック 長屋で代書屋さんを開いていたのです。代書屋さんというのは、役所や裁 判所等の届け書や、字の書けない人たちのために、手紙や葉書を代わって 書いてあげる仕事をする人です。ところが、虎象さんは、その一風恐い名前 のせいでしょうか、サッパリお客がありませんでした。「場所が悪いのかなあ」 などと思案しているところへ、一人の男の子が飛びこんで来たのです。
 「おじちゃん、手紙書いてくれる」そう頼む少年に、小さくてもお客さんは、お客さんだと思った虎象さんは「いいよ、どこへ出すんだい」と尋ねました。
 「インドのおしゃかさま」これを聞いた虎象さん、びっくりして「大人を馬鹿にする気か」と怒鳴ろうとしましたが、あまりにその幼な子の目が真剣なのに、思わず言葉を呑み込んでしまいました。「ぼく、おしゃかさまに、お母ちゃんの目をさましてもらうように頼みたいんだ。そしてご飯を作ってくれるようにお願いするんだ」これはただ事ではないと思った虎象さん、男の子に事情を聞くと、お母ちゃんはずっと寝たきりだったけど、今朝になって、いくら呼んでも目をさましてくれないとのこと、お腹もペコペコになり、誰かに頼もうと思ったら、ふとお釈迦さまのことを思い出したと 言うのです。
 「だってお母ちゃんが、いつも困った時には、おしゃかさまにお願いしなさいって言ってたもの。でも地震でボクん家(ち)のお仏壇も焼けてなくなってしまったでしょう。だから、おしゃかさまに手紙を書いてもらいたいんだ」
 すべてを察した虎象さんは、少年を抱きしめると「分かったよ、坊や。おじちゃんがちゃんと書いてあげる。坊やのお母ちゃんが目をさますように、坊やが温かいご飯がたべられるようにってね」と約束したのです。
 そして、この約束は本当になりました。虎象さんは、男の子の家に行って、 亡くなったお母さんのお葬式を出してやり、少年を自分の子として引き取ったからです。
 虎象さんは少年に言いました。「お釈迦さまがすぐ返事をくださってね。お母ちゃんは体が弱いから、天国でゆっくりと休ませてあげるって。その間、坊やは、おじさんの家で元気で待っていなさいって。分かったかい」コックリうなづく少年を見て、虎象さんもお釈迦さまに「私もこれで、生きる希望がわきました」と心からお礼 を言ったそうです。 (S・M)

No.002 素晴しき靴みがきの青年

 ぜひ、長谷川如是閑さんという人のエピソードを紹介させてください。
 長谷川さんは新聞社に務めていた人です。六十年あまり前の敗戦の混 乱期、人々の心もすさんでいた頃の話です。
 ある日、長谷川さんが、東京のお茶の水駅に降りた時のこと、汚れていた 靴をきれいにしようと見回すと、ちょうど駅前に靴みがきの青年がいまし た。「みがいてくれ」と言って足を出すと、青年は「はい」と返事をして、ハケで 靴の埃を払ってから言いました。「旦那さん、すばらしい靴ですね。こん な皮は、今の日本にはありませんよ。私の持っている靴墨を付けたら、せっか くの皮がかえって駄目になってしまいます。どこかちゃんとした店に行かな いと、この皮に付ける靴墨はありませんよ」と、なんと磨くのを断わったの です。
 びっくりしたのは長谷川さんです。断わられたのは始めて。でも「そんな こと言わんで、僕は急ぐんだから、ちっともかまやせん。やってくれ」とたのみ ました。でも青年は、「いや、私は靴みがきですが、自分の良心に恥じる仕事 はできません。この皮には私の靴墨は付けられません」と言ってガンとして 受けつけません。それならと、長谷川さんはポケットから小銭を出して、「少ないが取っておいてくれ」と言うと、彼は、「私は仕事もしないのに、お金はいただけません」と、どうしても断わります。仕方なく礼を言うと、長谷川さんは先を急ぎました。
 でも、この靴みがきの青年のまっ正直な気持ちがうれしくてたまらなかっ たのです。感激した長谷川さんは、さっそく翌朝の新聞に、『日本未だ亡び ず』と題して、昨日の出来事を書き、「彼のような青年たちがいる限り、日 本は大丈夫だ」と主張したのです。
 ところで、二、三日経った日のこと、一人の大学生が長谷川さんに面会に来 ました。よく見るとあの靴みがきの青年です。彼はあの記事の載った新聞 を、できるだけたくさん買うと、自分のこととは一切言わず、靴みがきの集 まりで読ませたそうです。
 そして、靴みがきの仲間のこんな行いもニュースになるんだ。みんなも負け ない様、日本再建のためにも頑張ろうと訴えると、皆が涙を流して「やろう やろう」と誓ってくれたというのです。長谷川さんは、またまた感激し、これ を記事にしました。
 良心に恥じない勇気のある行いを、お経の言葉では「勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)」と言いま す。この青年の行いを、きっと仏さまも、ほほえんで見ておられたことでし ょう。 (T・T)

No.001 〈商いの心得〉

江戸時代の商人がいかにあるべきかを説いた本に西川如見という人が書い た「町人嚢(ぶくろ)」という名著があります。
 江戸時代は、士農工商という身分制度があり、商人は、低い身分に置かれて いました。当時は、武士が世の中を支配していた時代ですから、武士は商人が力 を持つことを最も恐れていたのでしょう。だから「商い」とは、つまらぬ仕事だ、 悪どいやつのすることだと世論を意識的に操作していました。
 そんな風潮の中から作り出されてきたのが「商人と屏風は曲らねば立たぬ」 という言葉です。たしかに屏風は曲がらなければ立ちません。しかし、商いを生 業として生きる人々を揶喩するように使われたのではたまりませんね。そこで 如見はその著書で、こんな風に反論しています。
 ある日、古い屏風の精が、一人の商人の夢の中にあらわれました。そしてこうい うのです。「常日頃、わしは人間から曲ったものだといわれるのが、口惜しくてた まらない。わしは曲っているのではない。考えてみろ、屏風が開きぱなしになった ら、立ってはいられない。閉じてしまっても倒れてしまう。開き過ぎもせず、閉じ 過ぎもせず、その中ぐらいにあるというのは、仏の教えでいう中道をわしが心得 ているからだ。お前は、屏風に喩えられて落ちこんでいるようだが、これはむし ろ商人の徳分と思って誇りにした方がよい。それより大切なのは、商いをする 時、曲った場所に気をつけることだ。どんなに立派な屏風でもデコボコした所 では、立つことはできない。左様に心得て商いに励め」屏風の精を使って商人の プライドと有るべき様を説く如見はまた、「商いとは、耐え忍ぶことであり、信 用であり、飽きないで努力することである」とも説いています。そして謙虚さこ そ商人の守るべき道であると言うのです。
 だからでしょうか。今でも福の神として人気の高い大黒さまについて、こんな ことが言われています。「大黒さんが、色の黒いのは、着飾ることに心を奪われ るなという戒、丈の低いのは、身を低くしろということ、袋をかついでいるのは、 他人の身を養うため、打出の小槌は、道具を手放すなという教え、米俵の上に 立つのは、生命をつなぐ米こそ第一の宝ということである。
 昔から、橋の板で作った大黒さんが霊験あらたかと言われているが、それは 橋が広く万民を渡し、人から踏まれても文句をいわない徳分を持っているか らだ」と、ここまで説けば、商いの道も立派な仏道修行だと言えるのではないで しょうか。それこそ釈迦の説法だったかわかりません。 (N・N)

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