交流の広場「微笑苑」

No.020 <お宮に祀られた"観音さま">

  信者の老女が、山のお宮に観音さまのお社を、建立寄進することになった。私にも出席してほしいと言う。
 「お宮に観音さま?」
お寺というのなら分かるけど、どうも合点がいかない。それでも興味は津々、女房と二人出かけることにした。神社に招かれるなんて、滅多にないことだからである。 境内には、総工費一千万円というお社が、見事に完成されていた。
 「お社に入った観音さまか」
手は合わせたものの、なんとなくピンとこないのである。やがてドンドンピーヒャララという音と共に神事が始まった。来賓の私は、神官の真後ろにすわった。
 祝詞が終わり、玉串奉奠、二礼二拍して、心の中でお経を唱えた。
 まさか神事の最中、大きな声で読経をするわけにもいくまい。
 「和尚さまには、後でお経をあげていただきますから」
と老女に頼まれていたから、ここはおとなしくしていようと思ったのだ。
 ところが神事が終わった途端、
 「それでは引き続き、ただ今より仏式による開眼入魂式を挙行します」
と司会者が言った。
 びっくりしたのは私である。神官には内緒で、こっそり読経するものだとばかり思っていたからだ。
 あわてて法衣に着がえ、袈裟をつけると、「それでは負けてなるものか」とハリキッて読経した。
 すると女房が唱和した。女房だけではない。お経になると参拝者のほとんどが、声を出していたのである。
 私は感激した。これが、お宮の境内地での出来事だっただけに、いいようのない感動を覚えたのだ。
 そして、式次第の中に、仏事を入れてくれた神官の心の広さにも敬意を表した。
 「日本は古来、神仏は一体なんですよ。神さまでも、ありがたいお経は喜んで受け取ってくださる、わしはそう思っとります。だから、うちのお宮に観音さまがいらっしゃったら、お詣りも多くなるんじゃないですかの。ワハハハッ」
 老女は、この神官の性格を見抜いていたのだろう。
 神仏世界の統一とは、まさにこのことだろうか。 (J・N)

ページトップへ