交流の広場「微笑苑」

No.016 <女房が風邪で寝こんだ時>

 女房が、流感にやられた。熱が九度近くあると言う。
 「お霊供膳どうしよう」とフトンの中から尋ねてきた。
 「うん、一日くらい抜かしてもいいんじゃないか」と私はナマ返事をした。
 いつもは私より三十分は早く起き、朝の支度をするのに、あんな弱音を吐くのだから、今朝はよほどまいっているのだろう。
 そう思って台所に入ったが、はたして、仏さまにご飯を食べさせなくてもいいものかどうか迷った。
 結婚以来、飯の支度など一度もしたことのない私である。自分はパンでもかじっていれば済むが、仏さまにはそれもなるまい。
 そんな思案をしながら、ふと見ると、炊飯ジャーのランプが光っている。
 フタを開けると、なんとご飯がふっくらと炊き上がっているではないか。
 そういえば、「米、俺が磨いでおくから早く寝ろよ」と息子が、女房に言ったとか。
 「それに較べたら、あんたは、ちっとも優しくないわね」と言われた言葉まで思い出してしまった。
 「なんの俺だって 」そう決心してお霊供膳を並べたが、はてさて何をお供えしたものか。
 そこで鍋を開けたり、冷蔵庫をのぞいてみたり。
 「あった、あった」
 味噌汁も、豆の煮物も、それに生野菜も刻んだのがパックしてある。
 まるでママゴトのような作業が始まった。やれば、それなりに楽しい。
 起きて来た息子に「おい、父子家庭でも、なんとかやって行けるぞ」と言うと、息子はニヤッと笑って学校へ出かけた。
 こんな時に娘がいればと思わないでもないが、今さら言っても始まるまい。
 楽しいとは書いたものの、こんな作業を毎朝やらされるとしたら、たまったものではない。(ちょっと不謹慎。多謝。)なんとか格好だけはついたお膳を上げ、礼盤に座った時「同じ上げるでも、お経を上げる方がずっと楽だな」と、思わず本音を吐いてしまった。
 それにしても女性の仕事はたいへんだ。炊事、洗濯、掃除、数えればキリがない。
 だから仏さまは、せめて食べる事だけでも楽をしようと毎朝、托鉢に出かけられたのじゃないだろうか。
 まことに不謹慎にも、お勤めをしながら、私はそんな問いかけをしてしまった。
 勿論、仏さまは「ノー」というお顔をなさっておられる。
 だけど時代は変わった。あの時から二千年も経っている。お寺にいても、今は、お互いご飯にありつけるのだから。
 そう言って仏さまに、答えを求めると「そうだね」と肯かれたように思えた。

それなら「今朝はこれで辛抱してください。たまには女房のありがたさが分かることも、これまた修行になるんじゃありませんかね。」と言った気もする。
 だけど、これ以上はよそう。しょせん男の私の言い訳なのだから。
 事実、事の次第を聞いた女房は、「全部、あんたが上げたのは昨日の残り物じゃない」とあきれ顔。「明日はやっぱり私がする」とゴホンゴホン言いながら宣言した。
 寺に女性は不可欠。そう聞けば、きっと仏さまもひと安心なさっているに違いないかなと思った私ではある。
(N・N)

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