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No.030 「消えざる恨み」

 他人に冷たい仕打ちをされた時、私たちは「死んでも忘れるものか」と相手を怨むことがあります。怨みは、古今東西、たいそう始末の悪いもので、人間の歴史は、その怨みの繰り返しと言われるほどです。
 試みに、お経をひもといてみると、お釈迦さまのこんな言葉に出会いました。
 『<彼、われを罵り、彼、われを打ちたり。彼、われを打ち負かし、彼、われを奪えり>かくのごとく心執する人々に、怨みは、ついにやむことなし』
 きっとお釈迦さまのもとにも、忘れられない怨みをかかえた人が、自分の胸の内を聞いて欲しいと集まって来たことでしょう。そんな悩める人々に、お釈迦さまは、どのように答えられたのでしょうか。
 私は、そんな思いにふけりながら、ある戦争の未亡人のことを思い出したのです。
 敗戦後しばらくは、国民の誰もが、食糧の危機にさらされた時期です。二人の幼な児をかかえた彼女の毎日は「この子たちを、ひもじいめに遭わせたくない」という思いだけでした。売れる物は全部売り、とうとう底をついてしまった時、彼女は最後の綱と、本家の門を叩いたのです。ところが対応に出た義兄嫁に、ケンカもホロロに「その格好は何なの。食べ物が欲しいなら、裏にまわって納屋のカボチャでも持っていくがいいわ」と冷たくあしらわれた彼女は、くやしさのあまり、二人の子の手をぎゅっと握りしめ、逃げるようにして本家を後にしたそうです。
 「こうなったら、誰も頼るものか。いつか本家を見返してやる!」そう誓って生きて来た三十余年、その甲斐あって二人の子も立派に成長し、孫にも恵まれ、家も建て直すことができるようになりました。そして、古い家を解体する時、彼女はお経をあげてくださいと、私のいるお寺にやって来たのです。
 「考えてみれば、この家は私の怨みの思いでいっぱいです。義兄嫁のあの言葉があればこそ、今日があるのですが、それを許してしまえるほど、私は人間ができていません」と語る彼女の記憶の中に、今なお残るあの日の屈辱。それを払おうとして払えないと思い知った時、彼女はやはり仏さまのお慈悲にすがるしかないと思ったのでしょう。
 『まことに、怨みごころは、いかなるすべを持つとも怨みをいだくその日まで、人の世にはやみがたし。怨みなさによりてのみ、怨みはついに消ゆるべし。これかわらざる真理(まこと)なり』お釈迦さまは、彼女の心を見透かすかのように、こう語りかけていらっしゃるのです。
(W)

No.029 「別れのご挨拶」

 友人から聞いた、ちょっと心に浸みる話をご紹介します。
 ある日、彼の家では、お婆ちゃんの十三回忌を営むことになりました。約束の時間になり、和尚さんがやって来ました。ところが、いつもと違って、和尚さんは、二人連れです。「どうしたのかな?」と思って迎えると、「ちょっと体調を崩しておりますので、息子に連れて来てもらいました」と言って、お仏壇の前に座ったそうです。
 「その日のお経は、気のせいか、今までで、いちばん有り難いお経だったよ」、友人はそう言っていました。
 さて、お勤めもとどこおりなく終わり、家族の皆が頭を下げ、お礼を言った時のことです。お茶をおいしそうにいただいた和尚さんが、皆の顔を見わたすようにして言い出しました。
 「これで、お婆ちゃんへのご挨拶も済んだことだし、今日はひとつ皆さんに、私の気持ちを聞いていただきましょう。実は、私は昨年、直腸ガンになりましてネ、手術で悪い所を全部とってもらいました。ヤレヤレこれで大丈夫と思っていたのですが、今度は、肝臓に転移していることが分かりました。そこでまた、手術をして、今はなんとか落ち着いてはいます。でもお医者さんは、いつ再発するかも分からないとおっしゃっています。いわば、死の宣告をされているに等しい状態です。私は、お坊さんですが、皆さんと同じ凡人です。その言葉を聞いた時には、本当に悩みました。そして残された時間をどう生きればいいのかと、ずいぶん考えたのです。まわりの人は、息子も一人前になったから、すべてを息子にまかせて、のんびりしたらと言 ってくれました。でも、明日が分からない生命だから、のんびりなどできないと思ったのです。今までお世話になった人、ご縁を繋いだ方々に一人でも多くご挨拶してこの世を去りたいと思うようになりました。だから、こちらのお婆ちゃんの十三回忌にも是非お伺いして、今までのご恩に対してお礼を申し上げたかったのです。ひょっとすれば、私の生命は十七回忌の時までいただけるかもしれません。でも明日を頼むより、今日を精いっぱいに生かさせていただけるのが、今の私には何よりもありがたいのです」
 こう言って、手を合わせた和尚さん。その姿を見て、「俺とっても感動したよ。あの和尚さんは、命がけで、うちの婆ちゃんにお経をあげてくれたんだよな」と友人は話したのです。
 きっと、そこには、生と死を越えた絶対安心の仏さまの世界があらわれていたに違いありません。
(M)

No.028 「人間、捨てたものじゃない」

 茅誠司さんと言えば、誰でもできる<小さな親切運動>を提唱なさった東京大学の元学長さん。その茅さんの思い出話が『あの時、あの言葉』(日本経済新聞社刊)という本に載っています。

 それは、茅さんが秋田県に住む弟さんの所に預けていた、子供さんを迎えに行った、昭和十八年のことでした。当時の日本は、敗戦の色濃く、人々の心も決して明るい状態ではありませんでした。
 子共二人を連れて乗った東京行きの汽車は、超満員で、座るところもありません。茅さんは、通路に新聞紙を敷いて子供たちを座らせ、自分は立ちっぱなしでした。上を見上げると、なんと網棚の上には、若者が寝転がって、これ見よがしに、真っ白い握り飯を見せびらかせながら食べているのです。茅さんは「時代と共に、人間の心もどんどん悪くなる」と腹立たしくなりました。
 そんな時、足元に座っていた男のお子さんが、苦しそうに「トイレ」とうなり出したのです。汽車の中は、とても身動きができない状態です。お父さんの茅さんは「どうしよう」と大変焦りました。すると近くに居た誰かが「この子に、トイレをさせてやれ」と叫び、周りの人も声を合わせてくれました。
 そのおかげで駅に着くと、窓ガラスが開けられ、坊やは、トイレのあるホームに降ろしてもらえたのです。でも、それだけでは、駅にとり残されるかもしれません。そこで、「あの子のトイレが終わるまで汽車を動かすな」という声が大合唱となって、汽車の中じゅうに響き渡ったそうです。
 「その間中、父親の私は何も言えず、ただ頭を下げるだけ、感謝の気持ちでいっぱいだった」と茅さんは話しています。
 暗い時代の話だけに、なんとも言えないあたたかさと、人間は決して捨てたものじゃないという思いが伝わってくるのです。苦しい時は、人のことなど構っておれないと、エゴむき出しにする私たち人間ですが、そのもう一つ奥底には、仏さまと同じ、人を思いやる心が宿されているのです。

 それから四十数年が過ぎ、男の子は、今では、某大学の教授になっています。  でも、茅さんには、その時のことがついこの間のことのように思い出されるのだそうです。そして、人々の善意が身にしみた茅さんは「誰かが音頭を取れば、みんながそれに同調する。その意味で、人間は、いつでも、どこでも神仏になれる!ただ、そのための音頭を取る必要性を忘れてはならない」と語っています。
 <小さな親切運動>の原点は、茅さんのこのような思い出の中にあったのではないでしょうか。 (T)

No.027 「子恩観音」

 道ばたで、ふと出会う仏さま。その中で一番多いのがお地蔵さま、その次に目につくのが観音さまだと思います。どちらも、宗派を越えて、人々に親しまれている仏さまですね。ところで、私は今、仏さまと申しましたが、お地蔵さまも、観音さまも、実は仏さまではありません。正確に言えば、いずれも菩薩さま、いわば、仏さまのアシスタント的存在です。でも、だからといって、軽くとらえてはいけません。むしろ、仏さまになろうとして修行している立派な方たちなのです。
 しかし、立派だと言ってしまうと、菩薩さまは、私たち凡夫からは、遠い存在になってしまいます。なんといっても、この二つの菩薩さまの魅力は、とびきりの親しみやすさ。私たちが気軽にお願いをしたり、手を合わせることができる所に、人気の秘密があると思います。

 お経によりますと、この二つの菩薩さまは、いろんな者に姿を変え、私たちに語りかけ、救いの手を差しのべてくださると言います。そのためでしょうか、人々は、自分たちが形造ったお地蔵さまや観音さまにさえ、いろんなお名前をつけて、お詣りをしています。
 つい先日のことでした。たまたま手にした本の中に、『子恩観音』というお名前の観音さまのお姿を見つけました。

子恩とは、「子供の恩」という意味、「親の恩」なら分かるけど、子供の恩なんて、おかしいなと思って、よく見ると、その観音さまの横には、こんな立札があったのです。「私がわたしになるために、わたしに与えられた子供たち。この子供たちに肩身のせまい思いをさせたくないと、ふるい立つ心を与えてくれたのは子供たち。今、合掌をして、ありがとうと拝む。私が本当のわたしになるために、観音さまが私の子供となって、私の前に現われてくださったのだと」
 この立札を読んで、私は「こんな観音さまもいらっしゃるのだな」と感激しました。
 そのお顔を見れば、どこにでもいるような無邪気な子供の顔。それを彫ったのが、名もない二人の乙女たちと知った時、この乙女たちの願いが心に伝わって来たのです。

 「親が子供に感謝されたいと思うなら、まず親は親であることに感謝しなければならない。親であることの喜びを感じたら、子供もまた子供であることの喜びを感じてくれるだろう。」観音さまが、私たちにそう語りかけているような気がしました。そういえば、お地蔵さまにも、よだれ掛けに似た赤い布が掛けられています。あれも、人々のそんな願いが托されているのかもしれませんね。 (J・N)

No.026 「写仏 百万枚」

 お経を写して書くのは写経、仏さまのお姿を写して描くのを写仏と言います。最近では、この写仏も静かなブームを呼んでいるそうです。

 ところである年のお正月、ある和尚さんのところへ、お地蔵さまの絵が描かれた年賀状が舞い込みました。「よく描いてあるなあ」と感心して、その絵をながめていた和尚さんが、さらに見るとよく見ると、そこには“二百五十万三千八百八十二”という番号が書かれてあるのに気づいたのです。
 いったい、どうしてそんな番号が書いてあったのでしょう。年賀状の差出し人は、八十三歳になるお婆さん。そのお婆さんが、まだうら若い娘さんの時のことです。「結核性カリエス」という大変な病気に罹りました。あらゆる治療をしてみましたが、回復の見込みはありません。もちろん神仏にも手を合わせました。でも利益はありません。いっそ死のうかと思っていたある晩のこと「私の姿を百万枚写しなさい」という声が彼女の耳に聞こて来ました。これは、彼女が信仰していたお地蔵さまの声だったのです。最初は耳を疑いました。錯覚にしか過ぎないと思いました。でもそれで救われるならと、自分の瞼に浮かぶお地蔵さまの姿を写し始めたのです。
 最初のうちは一生懸命でした。それが五十枚、百枚になる頃には、再び疑いの念が生じてきました。しかしここで止めては、元の木阿彌、それに他に助かる道もないし。そう思って自分を励まし、描き続けるうちに、お婆さんは、自分がまだ死んでいないことに気づいたのです。「これがお地蔵さまの教えてくださったご利益かもしれない。こうなれば、死ぬまで描き続けよう」そう思った彼女は、百万枚という気の遠くなるような目標に挑戦する勇気が湧いて来ました。

 描けば、描くほど、絵も上手になって来ます。その喜び、その嬉しさ、いつの間にか、自分が絵を描くというより、お地蔵さまが、向こうの方から姿をあらわしてくださるという気持ちにまでなったのです。
 そして三十余年、お婆さんは、ついに念願の百万枚のお地蔵さまを描き上げました。「お医者さまに、再起不能と宣言された時から、それまでの私は死んでしまったのかもしれません。でも、それがこうして今も生命あるのは、本当にお地蔵さまのお蔭です。」そう語るお婆さんは、その後も二百万、三百万と写仏をし、お地蔵さまと一緒に、人生の旅を続けているのです。 (M・N)

No.025 「父との仏縁」

 「縁は異なもの味なもの」私たちは、まさにその縁によって、色々な人生模様を作って行きます。お釈迦さまが、「この世の存在はすべて縁によって起り、それ独自で存在するものはない」と『縁起の法』を繰り返し説いておられます。私たちにとって、その縁えにし を、正しく知る事が、まさに人生をより尊いものにするのだと言えます。

 私は、父親の顔を知りません。覚えていないと言う方が正確でしょう。私の父は、三十三歳の若さでこの世を去りました。今年、私は三十五歳を迎え、年齢では父を超えた事になります。その父の、三十三回忌法事を営みました。私の年齢で、親の三十三回忌を行なう事もめずらしいと思うのですが、子が出家の身となってみずから法要を営むことは、もっと稀な事かもしれません。
 当日の参列者は、身の近い数人の者だけでしたが、一緒に唱えるお経の声が、私にはとても心よく響き、亡き父もさぞかし喜んでいるのだろうと感じられたものです。「おそらく亡き父も、私が出家をして、自分の法事を営む事など、おそらく考えてもいなかっただろう」そう思いながら、ご回向を進める中で、私はふと、自分の出家の縁は、この父との死別にあるのではないかと思ったのです。
 これまでの私は、尼僧にまでなった母親の、熱心な信仰の姿に影響されて、出家の道に入ったと考えていました。そんな訳ですから、母の願いに叶うお坊さんにならなければと、気負いにも似た使命感をずっと持って来ました。
 しかし、母の強盛な信仰は、若くして夫と死別をした悲しみ、母子家庭という経済的に困難な生活の中から育くまれて来たという事実を、私は三人の子供の父親になって、始めて気づかされたのです。さらに、母がその信仰を自分の心の支えにするばかりではなく、多くの人々にその心をすすめ導く出家の道を、父の死という縁の中から切り開いて来たその姿に、私は今、頭が下がります。

 考えてみれば、父親の居る家庭がうらやましく、さびしい思いをした事、友達がお父さんの自慢話をする中に入っていけなかったくやしさ、様々な思いが幼い頃の自分の姿とともに思い出されてきます。時として、どうにもならない自分のさびしさを、母にぶつけた事もありました。しかし、そんな色々な事が、現在の私に成長させて くれたのだと考えられる様になりました。この世では縁の薄かった父でしたが、 その少ない父との縁の中に、今の私を支えている尊い縁(えにし)がある事を、 あらためて知らされたご法事を終えたのです。 (W)

No.024 「布教と宣伝の違い」

 先日のことです。自坊に、ある大手新聞の広告社と名乗る人から電話がかかって来ました。「今回、うちの新聞で、お彼岸の特集記事を組むことになりました。つきましては、お宅のお寺さまにも協賛の広告をお願いしたいのですが…」という依頼です。
 「またか」と思った私は、いつものように、即座に断りの返事を口にしました。でも今回は、相手も負けてはいませんでした。「仏教の行事を社会に知らせることは、今の時代、とても大切な布教だと思いますけれども」さすがはセールスマン。こちらのウィークポイントを突いてきます。数分間にもわたる押し問答の末、こちらが出した切り札は「実は、私は住職ではないので、ご返事しかねます。とりあえず、ほかのお寺さんをあたってください」というかなり、情けない逃げの手でした。

 なんとかその場は切り抜けたものの、私は電話の相手とのやりとりが、とても気になっていました。というのもあるヨーロッパの学者が言っていた、こんな言葉を思い出したからです。「確かに仏教は素晴らしい教えではある。しかしキリスト教に比べると、今一つ欠けたところがある。それは仏教には教えを人々に伝え、共に分かちあい、共に活動しようとする意欲に乏しい点である」
 このある種痛烈な批判は、今のお寺の一面を指摘していると言えなくもありません。あまりにも、布教活動に消極的なお寺の布教活動のあり方があるとすれば、それはまさに、社会から仏教を忘れさせてしまいかねない要因の一つになってしまいます。

 しかし、私はあえて「しかし」と言いたいのです。
 つまり仏教は、宣伝の宗教ではないのです。人間の、静かな思索の中から生まれた仏の教えは、やたら目や耳に洪水のように流れ込ませることによって今日まで広まってきたのではありません。むしろ、目や耳に触れるものによって、心を乱されてはならないと説かれたのがお釈迦さまであります。そう考え直して、あらためてマスコミ界を見ると、やたらご利益談義や奇跡を誇る、いわゆる宗教広告が目につき過ぎます。宣伝と布教とは、まったく違うのだと気がつきます。
 宣伝は、当方の存在を一方的にアピールするものですが、布教とは相手のためを思って、仏の教えを広めることです。
 お釈迦さまは、四十五年の間、みずからの足で歩き、法を説き続けられましたが、それは、常に人々の悩みに対して、ひとつひとつその答えを出していくというものでした。
決して、これ見よがしの押しつけではありませんでした。

 確かに現代は、宣伝の時代です。社会に対し、仏の教えを広めることは、とても大切なことです。でも一時的に燃えさかる火のような、煽りに煽ったエセ信仰などよりも、たゆまない水の流れのような信心が大切ではないでしょうか。人々の心にしみるような布教、そんな布教活動のあり方を今こそ私たちは、真剣に考えるべきでは ないでしょうか。   (M)

No.023 「説教はライブで」

 スイカといえば、夏の果物でした。ところが近頃では五月頃から出回っています。いえ、真冬でも、果物屋さんの店頭に並んでいます。
 子供の頃は井戸で冷したスイカを、セミの鳴き声を聞きながら、かぶりついたことを思い出しながら、「世の中、変わりましたね」と話しました。もちろん、今でも夏にスイカを食べない訳ではありません。でも、スイカに対する感激が、昔と全然ちがうのです。

 いつでも有るということは、私たちから「待つ」という心を失わせてしまいました。待つということは、つらいことです。しかし、一面では楽しみでもあるということも知らねばなりません。
 「待つ」という心の働きによって、私たちの胸には、夢と希望がふくらむのです。そして、待った後に出会ったという感激が、私たちの人生を豊かにさえするのです。

 先日、お説教に出かけたお寺さんで、一人のお爺さんが、私の話を録音していました。
 「近頃は、こんな便利なものができたから、ありがたいですね」そういうお爺さんは「このお話を、家に帰って家族に聞かせます」と言いました。熱心な人だなと感心していると「でも、こんな道具ができたおかげで、一緒にお寺に行こうと誘っても、後でテープを聞くから、わざわざお寺に行かなくてもいいと断られた」と、ぼやきました。
 「テープなら、自分の家で寝ころんでも聞けるし、足もしびれませんからね」この話を聞きながら、便利というのは、そんなマイナスの面もあるのかと思ったのです。

 ところが、その時、横にいた青年が「お説教は、やっぱりライブでなくちゃあ」と言ったのです。お爺さんがびっくりして「ライブってなんですか」と尋ねました。「生演奏のことをライブって言うんだよ。いくらいい機械でも、機械は機械、心までは伝わってこないからね。これからはなんといっても生の時代だよ。ビールも生だし、お金も現生が最高だからね」と笑わせます。
 これを聞いた私は、いいことを言うなと思いました。これからは、手作りこそ求められる時代だと思うからです。

 一年中出回っている野菜や果物に飽いているのは、そこには新鮮さという実感がないからでしょう。自然と共に生きる気持ちがなければ、私たちは生き生きとした心まで失ってしまうような、そんな気がしてなりません。  (T)

No.022 「報復の虚しさ」

 「まこと怨みごころは、いかなるすべを持つとも、怨みを懐くその日まで、ひとの世には止みがたし。うらみなさによりてのみ、うらみはついに消ゆるべし。こは易らざる真理なり」(友松円諦 訳)

 これは法句経というお経の中にある言葉です。私たちにとって、怨みほどやっかいなものはありません。恨むまいと思っても、心の中から、なかなか消えてくれないのが怨みです。
 戦争が終わって五十年以上も経った今も、朝鮮人慰安婦問題をはじめ、いろんな心の傷痕が解決されないままに残っています。その人たちの味わわされた苦悩、舐めさせられた屈辱を考えれば、何ひとつ許せないのが当然だと思います。
 「この怨みを晴らさなければ、死んでも死にきれない」という気持ちになるのも、無理からぬことでしょう。でも、願い叶って、その目的を遂げてしまった時、人々の心には満足感は、おとずれるのでしょうか。

 ここに、こんな記録があります。
 一九六〇年五月、ナチスの親衛隊長だったアイヒマンが、彼を追い求めたイスラエルの謀報機関によって逮捕された時のことです。彼は、あの第二次世界大戦の時、ユダヤの人々を迫害し、ありとあらゆる暴虐を加えた人間です。ユダヤの人々のナチスに対する怨みは、言葉には尽くせないものがありました。そこで作家でもある某ルポライターが、謀報機関の人に、「アイヒマンを捕まえた時どんな気持ちでしたか」と尋ねたのです。すると、こんな答えが返ってきました。「驚きと期待はずれが入り混じった気持ちだね。六百万人もの同胞を殺した男だ。獣のような男を想像していたよ。でも、目の前にいるのは、ひ弱で、ただビクビクしている男に過ぎなかった。捕まえた時以外、だれも彼には指一本触れようとしないのに、彼は今にも殺されるのではないかと怯えきっていた。食事を与えれば毒殺されるのではないかと震え、ヒゲを剃ってやろうとすれば、ノドをかき切られるのではないかと震え、散歩させてやろうとすれば、外で銃殺されると怯えるんだ。こんな臆病者の、自尊心のかけらもないような男に、同胞が殺されたのかと思うと、怨むというよりも、情けない気持ちでいっぱいになったよ」

 この記事を読んで、私は〈報復〉という観念・行為の虚しさを感じました。「うらみなさによりて、うらみはついに消ゆるべし。こは易らざる真理なり」という、お釈迦さまの声が、二千年という時代を超えて、今現代の世界に聞こえて来る気がしました。自分の論理だけを主張した、報復の繰り返しなどによって、決して、世界に平和は、 おとずれません。  (J・N)

No.021 「病院の中での法衣姿」

 入院中の檀家さんを、お見舞いに行った時のことです。受付に行くと、係の人たちが、こちらをジロジロ見ます。「感じが悪いなあ」と思いながら通り過ぎようとすると「ちょっと、ちょっと」と、呼び止められました。「あまり目立たないようにしてください。他の患者さんに、影響しますから」
 そう言われて、受付での “ジロジロ” の原因は、私の衣装にあることが判明しました。お参りの途中だった私は、黒い墨染の法衣姿のままだったのです。「すみません」と謝ったものの、内心では「坊さんが坊さんの格好をして来て、何が悪いんだ」と言い返したくなりました。

 世間からは、坊さんイコールお葬式。時には、不吉で、縁起が悪いように思われることさえあります。そんな人々の気持ちがあるということも、わからない訳ではありませんが、以前私が読んだことのある、某仏教雑誌のコラムに、こんな記述がありました。
 『仏教者が、病院や老人ホームに出入りすることが『縁起が悪い』とか『まだ早い』などと言われることは、本来おかしいことである。死に臨んだ人や、お年寄りが、真に語り掛けられるのは、仏さまだけであろう。誰もその人の心の中をわかることができなくても、仏さまは、わかってくださるはずである。したがって檀信徒の方が入院されたり、老人ホームに入所されたならば、積極的に出向いて、その人のお話を聞いていただきたい。ただ手を握り、顔を見つめて、話はなされることを聞き、うなずくだけでもよいのである』と。
 この意見は、世俗的な常識とは、逆の意見ではあります。しかし私は、本来のお坊さんは、かくあるべきだと思っています。〈死〉は確かに私たちにとって、一番の苦しみ、恐怖の対象であります。だからこそ、最も心の安らぎが必要な時であるはずなのに、逆に拒否反応を示される。これはまことに悲しい現実だという他ありません。

 聞けば、キリスト教の牧師さんは、臨終ま近かになった信者さんの枕元に立ち合うそうです。それは、人が死ぬ前に、「自分がこの世で犯した罪を、すべて懺悔しなければならない」という、信仰上の理由からだそうですが、病院側はこれを許可していると言います。それなら我々坊さんの方も、ひと踏ん張りしなければなりません。
 最近では、病人の心の相談役とも言える“ホスピス”の制度が関心を集めています。これからのお坊さんは、人が死んでからよりも、死の直前に信頼を集め得る仕事をしなければならないでしょう。そうなれば、黒い法衣を着て病院に入って行っても、むしろ、それが信頼のシンボルになるに違いないと思うのです。  (M・N)

No.020 「思い出の花まつり」

 四月八日は、花まつり。花御堂を飾り、誕生仏に甘茶をかけてお祝いする、お釈迦さまの誕生日。私たち仏教徒にとって、大切な聖日です。

 この花まつりに、私はニガイ思い出があります。
 今から四十数年前、私は祖母に手を引かれて、小学校の入学式へ行きました。無事に入学式を終えて我家に帰った私には、祖母との約束だった花まつりのお参りが、なぜか面倒でした。こっそりと家を抜け出して、友達の家へと、遊びに行ったのです。
 たまたま、家の人たちは留守で、友達が居るだけでした。注意する人が誰もいないのをいい事に、私達は、家の中で遊び回りました。
 しばらくして、遊びにも飽きた友達が、「もっとおもしろい事をしよう」と言い出し、タンスの中からお母さんの財布を取り出して来ました。彼は千円札を二枚抜き取ると、一枚を私に渡して、「これで鉄砲を買って遊ぼうよ」と言い出したのです。当時の千円は子供にとって大金です。
 「そんな事したら叱かられるよ」と嫌がっていた私も、「鉄砲なんか持ったことないだろう」という誘惑に負けて、千円ずつを手にして、近所の店へ走りました。「これちょうだい」と鉄砲を手に、それぞれお金を出した私たちに、店のおばさんが、「ほう! 大金持ってるね。入学式のお祝いのお金かい」と言って、おつりをくれました。
 私たちは初めて自分の鉄砲を持てた嬉しさで、有頂天になり、お金を黙って抜き取った事などすっかり忘れ、夢中で遊びました。
 しかし小さな田舎町の事です。「あの子らが千円持っておもちゃを買った」と、すぐに知れ渡りました。その話を聞いた祖母は、田んぼの中で遊んでいた私を見つけ、何も言わずに手をつかんだまま、引っぱってお寺まで連れて行ったのです。そして、泣きじゃくる私を本堂に上げると、正面に飾られた花御堂の前に座らせました。「いいかい、このお釈迦さまをじっと拝んでごらん、これはお生まれになったばかりのお釈迦さまが、天と地を指して、『私は、この世で一番尊いものだ』と宣言なさっているお姿だよ。それにくらべたら、お前のしたことは、ほんとうに恥ずかしいことだね。分かるかい。さあおばあちゃんと二人で、お釈迦さまのような正しい人にならせてくださいとお願いしような」と言いました。

 もう四十数年前の出来事だけれど、私は、住職となった今も、甘茶をお釈迦様にかけるたび、その時の祖母の言葉が聞こえてくるのです。   (W)

No.019 「心をいただく」

 話し上手は、聞き上手と言われます。人の悩みを聞き、その人の立場になって相談にのっていると、僧侶である私自身にとっても、良い勉強になります。

 ある日、とある法事の席でのこと、ご供養も済み、次は会食ということになりました。その時、一人の老人が「久しぶりですなあ、こんなに多勢の人と一緒に食事をするのは」と話し始めました。「私は最近、五十年近く連れ添った家内を亡くしましてね」とその人は寂しそうです。「息子は遠くに就職してるし、娘は嫁にやってしまったし、まったくの一人っきりなんですよ」この話を聞きながら、私は「最近こんな家庭が多くなったなあ」と思いながらも、適当に話を聞き流していました。
 同情はするけど、あまり湿っぽい話は嫌だなと思ったのです。ところが、そんな時には相手の気持も敏感です。「若い方には、そんな年寄りの気持は分からんでしょうなあ」とつぶやかれてしまいました。私は、慌てて「いえいえ」と否定し「それじゃあ、毎日、食事や洗濯がたいへんでしょう」と言いました。すると「そりゃあもう、死なれてみて、女房のありがたさが分かりましたよ。当り前と思っていた事が、その時から全部当り前でなくなるんですから」と、昔を懐かしむかのように、話を続けました。
 その時、私は、「当り前のことが当り前でなくなる」という言葉にドキッとしました。正確に表現すれば、他人の悩みによって、自分の愚かさに気がついたと言った方がいいでしょう。何と、その老人は「だからこうやって、みなさんと食事をすると、ただ料理を食べてるんじゃないんだ、みんなの心をいただいてるんだということが、よく分かるんですよ」と言ったのです。
 「心を食べるんですか」私は、思わずそんな質問をしてしまいました。「そうです。他人さまの心のあたたかさをいただいてこそ、身体もぬくもるんです。それがなければ、生きてはいけないなあ」そう言って、おいしそうに箸を動かす老人の姿を見て、私は「人間」という言葉の意味を、改めてかみしめました。

 ややもすれば、人との付き合いをわずらわしく思い、一人になりたがる私たちです。でも、それは人間という二人以上の社会の中で生きていればこそ。その社会を見失なった時、私たちは初めてそのありがたさに気がつくのでしょう。「でも、ご住職さん、近頃では、死んだはずなのに、家内が側にいるという気がするようになりました。私が炊いたご飯をお仏飯として供えると、一緒に食べさせてくれているようで…」と話すこの老人は、最後に、「今日のご縁も、やっぱり仏さまのお導きでしょうな」と言葉を結んだのでした。    (M)

No.018 「卒業式のその時に」

 今年も、卒業式のシーズンが到来しました。
 私が、ふと思い出したことがあります。
 あれは、昨年の春、我家の長男が小学校を卒業した時のことです。お天気は、子供たちを祝福するかのように晴れ、私の心にも青空が広がっています。「よく頑張ったね」そう誉めてやりたくて、卒業式に出席しました。校長先生が、子供たち一人ひとりに卒業証書を手渡してくださいます。うちの息子の番になり、親の私の方が緊張しました。名前を呼ばれ、「ハイ」と返事して壇上に進む姿を見て、胸 がジーンと熱くなりました。卒業証書をもらった息子が、担任の先生にそれを渡すと、先生は、青いリボンのついた証書入れに入れて、ピンクのカーネーションと一緒に、息子に持たせました。その二つを大事そうにかかえて、席に戻る息子に、私は手を振りました。「よかったね。お父さんも嬉しいよ」という気持ちを伝えたかったのです。

 卒業式が終わると、私は急いでお寺に帰りました。午後からお葬式があるからです。亡くなった人は、三十八歳の女性、その道すがら「大変だなあ、きっと子供も小さいだろうな」と思ったのです。
 そして法衣に着がえ、祭壇の前に進んだ時、私はハッとしたのです。なんと柩の上には、あの青いリボンの卒業証書入れと、ピンクのカーネーションが置かれているではありませんか。
 「ああ、この家の子も、今日が卒業式だったのか。どん なにかお母さんに、今日の晴れ姿を見てもらいたかっただろうに」そう思うと、悲しみが胸をつき上げて来ました。それだけに、亡き人の後ろ髪を引かれるような無念さも、お棺の中から伝わってきたのです。

 お釈迦さまのお弟子の一人にも、そんな悲しい思いをした人がいました。不治の病に患り、明日をも知れない命でした。「一目でいい、一目でいいからお釈迦さまにお会いし、その思い出を持って死にたい」そう願う彼の病床を見舞われたお釈迦さまは、彼にいたわりの言葉をかけた後、こう 言われたそうです。
 「そなたが、私を慕う気持は尊い。しかし、私の年老いた体を思い出とするより、私の教えを思い出とするが良い。教えを信じる限り、私は常に、そなたと共にある」お経をあげていた私は、この話を思い出しました。
 いつまでも子供のそばに居てやりたいと願っただろう亡き人に「心安らかに仏さまの教えを信じることですよ」と言いたかったからです。

 「あなたが、仏さまの世界から見守ってあげれば、お子さんも、きっとこの悲しみを乗り越える日がくるでしょう」私はそう祈って、柩を送り出したのでした。  (T)

No.017 「坊主本来無一 物」

 小学校五年生になる息子と、先生との対話です。新学期になって担任の先生が変わりました。
 「あんたは、お寺の坊ちゃんなの」と聞く先生に、わが息子は「うん」と答えました。「それなら、お父さんの後を継いで、お坊さんになるんでしょう」と聞くと「ぼく、ならないよ」とナマ返事。「どうして、そうしたらお寺がつぶれるじゃない」と聞くと、「お父さんが、ならなくてもいいと言ったもん。だから、ぼく大きくなったらお寺をやめて、マンションに建てかえるよ。その方が、もうかるもん」と言ったそうです。
 これは聞き捨てならない話です。さっそく息子を呼んで、その真偽を糾しました。
 「お父さんはね、お前に坊さんにならんでもいいとは言ったが、お寺をつぶしてもいいとは言ってないぞ。お寺の家や土地は、檀家の人たちみんなのもので、個人のものじゃないんだぞ。だから、勝手に売ったり、こわしたりしてはいけないんだ」と説教すると「フーン、そうなの、ちっとも知らんかった」と反省の色もありませんでした。
 お寺の子は、生れた時から大きな境内に住んで、育ってきたせいなのか、ついついそんな錯覚をしてしまうのかもしれません。私自身も、小さな時には、同じようなことを考えた記憶があります。

 そんな考え方を、根本的にくつがえされたのは、私がかなり大きくなってから。『坊主本来無一物』という言葉に出会った時です。「坊さんという者は、もともと何一つ持たないものだ」という意味のこの言葉。お釈迦さまは出家者には、黄色い一枚の衣と、托鉢のための一つの鉢を持つこと以外には、私物を持つことをお許しになりませんでした。そして、た くわえをすることを厳しく戒められたのです。それは、たくわえによって人は執着を生じ、執着は迷いの元となると知っておられたからです。

 仏の道を求める者は、できるだけ身軽でなければならない。この肉体ですら、縁によって生じ、やがては滅びゆくものである。滅びゆくものに、心を奪われてはならない。
 そう説かれるお釈迦さまの教えは、厳しすぎるようにも聞こえます。しかし主に拝観料で稼いでいる寺院や、いわゆる多角経営をしている現代のお寺のあり方を見ると、私には、お釈迦さまのご指摘がよく分る気がするのです。
 このままでは、法は廃れ、抜け殻のお寺だけが残ることになるような気がしてなりません。
 法は継がず、財のみをあてにする後継者ばかりができたのでは、お釈迦さまに 会わせる顔がありません。
 私が「後を継がなくてもいい」と言った真意を、息子が分かってくれるには、まだまだ時間がかかると思ったのです。  (J・N)

No.016 「私は、字の下手な住職」

 私は、正直言って字が下手です。「字の下手な人間に、坊さんが勤まるものか」とおっしゃりたい方もあるでしょう。私には、こんな苦い想い出があります。

 忘れもしません。あれは、私がお寺に新米住職として入寺して、初めてお葬式を出した時のことです。お通夜から帰ってきた私は、お位牌をかかえて途方にくれていました。
 戒名をつける事は、以前から勉強していたので、なんとかつける自信はありました。しかし、いざ戒名をお位牌に書こうとすると、今までの稚拙な自分の字が頭をよぎり、どうしても書くことができません。「明日、お葬式の時に、お位牌を持ってまいります」と、お通夜の席を立ったものの、書き直しのきかないお位牌に、戒名を書くことがどうしてもできません。これでは、一寺の住職としての面目が立ちません。困ってしまった私がふと気がつくと、両親のいるお寺の山門前に立っていました。結局、その時は、両親に甘えてしまいました。
 最終列車で、自分のお寺に戻る時「これで明日お葬式を出せるぞ」という安堵感と「一寺の住職たる者が、お位牌すら、自分で書けないのか」というみじめさが同居して、私の心の中は、複雑に揺れていたのを覚えています。
 両親の寺から帰る時「いくら、偉そうな事を檀家さんに説教しても、お位牌一つ書けない住職なんて、坊さん辞めたら」という母の言葉が、私の心に突き刺さっていたのです。
 幸か不幸か、それからしばらくの間は、お葬式がありませんでした。ところが急に、一週間に三度もお葬式があったのです。今度は、両親には頼れません。覚悟を決めて、亡くなった三人分の戒名を、お位牌に書きました。

 今でも、この三軒のお宅にご回向に行くと、嫌でも私の下手な字が、目に飛び込んできます。下手な字のお位牌に、一生懸命手を合わせている檀家さんを見ていると、仏さまにも、檀家さんにも、申し訳なく思えてくるものです。思わず「もっと上手になります、練習をします」と自分に言い聞かせ、私なりに頑張っています。私にとっては、これも大事な仏道修行の一つと言えるでしょう。(M・N)

No.015 「自分のために読むお経」

   先日の事、ご法要が終わってのお膳の席で、突然「なんでお経を読むのですか」と質問されました。聞いてきたのは今年三十歳になる息子さん。お父さんの一周忌を終えて、この一年間、何度も繰返す、長いお経を聞きながらいつも疑問に思っていたと言うのです。
 今までお経を聞く機会も無かった彼にとっては、素直な疑問なのです。彼の真剣な顔を見ていると「亡き人への追善供養のために読むんですよ」といった説明では、納得してもらえそうにありません。私は返答にとまどってしまいました。すると彼が「ご法事を、世間一般の儀礼と見るならば、親しい人が集まって個人を偲び、思い出話しに花を咲かせる方が、よほど供養になるんじゃないですか」と言い出したのです。
 それはまるで「意味のわからないお経を、足をシビレさせて聞いている事に一体何んの意味があるんですか」と言われているように私には受け止められたのです。このままでは、お坊さんも必要ないと言われそうです。

 そこで私は「お経は、お釈迦さまのお言葉なんです。確かにご法事でお経をあげる事は、一つの儀礼と言えるでしょう。でもその儀礼の中に、亡き人へお釈迦さまの教えを説いて聞かせるという大切な意味が含まれているんです。生前は忙しさに追われて、仏さまのお言葉に耳を傾ける事の少なかった故人のために、仏さまの教えを説いているんですよ」と答えたのです。
 「それじゃ、ご住職はお釈迦さまに代ってお経を読んでいるのですか」と彼はまた聞きます。その時、私はとっさに「いえ、私も一緒に仏さまの教えを聴聞しているんですよ」と答えたのです。そして「お経は亡き人のためばかりではなく、自分自身のために読むという心掛が大切なのです。だから、お経を読む前に唱える『開経偈』という偈文の中に、お釈迦さまの教えは深遠にして、最高の真理の教えであり、そのような教えに出会う機会は滅多に無い事だ、そのまたとないチャンスに恵まれて、私は今その教えを聞く事ができた。願わくば、この如来の真実義の教えを学び取りたい。と、お経に触れる者の決意が示されています。つまり、お経は亡き人と共に、私達が一緒に仏さまの教えを聴聞して、仏の子としての生き方を学ぶために読んでいるんですよ」と話したのです。
 すると彼は、「それで、ご住職は経本を配って、一緒に読んでいたのですね」とうなずくように言ったのです。
 ほっと私は、胸をなでおろしたのです。(W)

No.014 「お母さんのお守り」

   世の中には、多くの<お守り>があります。交通安全のお守り、受験合格のお守り、商売繁昌のお守り、私たちのさまざまな願いに応じて、お守りの種類は、数えきれないほど目につきます。
 でも今からお話しするお守りは、滅多に手にすることのできない、霊験あらたなお守りです。そのお守りというのは、なんの変哲もない“一粒の豆”。
 では、その秘密をお話ししましょう。

   ある所に、交通事故でお父さんを失った母子がいました。上の子は小学三年生、下の子は小学一年生。事故は、お父さんが加害者(かがいしゃ)という裁決(さいけつ)を受け、家も土地も売り払わなければならなくなり、一家は文字通り路頭に迷う身となったのです。
 お母さんは、生活を支えるために朝六時に家を出、ビルの清掃、それから学校給食の手伝い、夜は料理屋で皿洗いと身を粉にして働きました。でも、そんな生活が半年、八ヶ月、十ヶ月と続くうちに、身も心もクタクタになってしまいました。いつしかお母さんの頭には、いつも死ぬことばかりが思い浮かんできたのです。  そんなある日、お母さんは朝出がけに子供たちに置手紙を書きました。「お兄ちゃん、おなべに豆をひたしてあります。これを、こんばんのおかずにしなさいね。豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい」
 その日も一日、くたびれ切って帰って来たお母さんは、今日こそ死んでしまおうと睡眠薬を買っていました。そんなことはまったく知らない二人の子供たちは、スヤスヤと眠っています。その時、彼女は『お母さんへ』と書いた、一通の手紙を目にしました。「お母さん、ごめんなさい。僕一生けんめい豆をにました。でも失敗しました。だからごはんに、水をかけて食べました。お母さん、明日の朝、もう一度僕に豆のにかたを教えてください。そして僕のにた豆を一つぶだけ食べてみてください。僕先にねます。お母さん、おやすみなさい」
 このお兄ちゃんの手紙を読んだお母さんの目に、どっと涙があふれました。「ああ、お兄ちゃんは、あんなにも小さいのに、こんなに一生けん命に生きてくれているんだ」お母さんは、そう言って、おにいちゃんの煮たしょっぱい豆を、涙と一緒に一つ一つ押し頂いて食べたのです。
 それ以来“一粒の豆”がお母さんの大切なお守りになりました。
 あの時のことを思えば、どんなことだって我慢ができるという、お母さんだけの、秘密のお守りなのです。(M)

No.013 「友はタクシードライバー」

  仏さまの教えは、乗り物に喩えられます。大乗仏教とか一乗妙法蓮華経とか言う「乗」という言葉がそれです。
 さて、乗り物は、乗るだけでは意味がありません。それに乗って、何処かに行くという目的がなければ乗った甲斐がありません。だから乗り物に乗せるというのは、仏さまの場合、私たちを迷いの世界から悟りの世界へ、悩みの世界から安心の世界へと運んでやろうという願いがあるのです。
 ありがたいことに私たちは、乗り物に乗りさえすれば自分たちが動かなくても別の場所に移動することができます。しかし、乗り方を間違えれば、とんでもない場所に連れて行かれることもあるので、十分注意しなければなりません。

 もう随分昔のことです。大学を出たばかりの頃、私は、ネオン街に出掛けるのが、何よりの楽しみでした。たとえお金がなくても、その辺りを一周してこないと、気が落ち着かなかったのです。
 そんなある夏の夜のこと、「今日はどこに行こうか」と、ウロウロしていると「おい」と言う声がします。まさか、自分を呼んでいるとは思わなかったので、知らんふりをしていると、今度は「坊さん」と呼びます。「俺のことか」と気づいてキョロキョロすると、「ここだ」とその声の主が言うではありませんか。よくみれば、なんと声は、客待ちのタクシーの中からします。そしてドアが開き、運転手が「俺だよ」と頭を出しました。「なんだお前か」それは何と中学時代の同級生だったのです。
 「久しぶりだな」というと「まあ、車に乗れよ」と後ドアを開けました。勧められるままにリアーシートに座ると「商売だから、メーターを倒すぞ」と彼は言いました。「それで今からどこに行くつもりだい」と聞くのです。街に出たばかりの私には、まだどこといって行く当てはありませんでした。そこで「どこでもいいよ」と曖昧な返事をすると「そんな返事じゃ運転できん。だいたい坊さんがこんな時間、こんな所でウロウロしているのはよくない。お寺に帰れ」と言って、有無を言わさず車をスタートさせたのです。そんな訳で、私はその夜、あっという間にお寺に連れ戻されてしまいました。

 仏さまの教えという乗り物も、このタクシーのように、私たちを誘惑の巷から、悟りの世界に連れ戻すためにあるのかもしれません。
 それなら乗車拒否をせず、素直に手を合わせて乗せてもらいましょう。あまりウロウロしていると、今度はとんでもない車に乗せられて、一生後悔しないとも限らないからです。   (J・N)

No.012 「三つの福田」

  物を大切にすることは、心を大切にすることです。お金さえ出せば、何でも手に入る現代ですが、その分、心が粗末にあつかわれている時代になったとは思いませんか。
 でも、懐かしい思い出が秘められた品物は、決してお金では買えません。

 ある日のことです。円福寺というお寺の奥さんに、一台の自転車が届けられました。それは、そのお寺にある施設を巣立った、一人の青年から送られてきたものでした。
 「お母さん、自転車を送りますから乗ってください。お金で送ってもよいけれど、お母さんは自分のものを買わないから、品物で送ります」そう手紙を寄こした青年は、赤ん坊の時、この寺の施設で引き取った子供でした。
 実は、この子は、小学校に通う頃、和尚さんのお金を盗んで、おもちゃのカメラを二十台も買い、クラス中に配ったことがありました。「どうして、そんなことをしたんだ」と和尚さんが叱ると「『親なし施設の子』と言われたくなかったんだーっ!」と泣き出しました。その晩、奥さんは、黙ってこの子を抱いて寝ました。
 「お母さん、ぼくは今まで、和尚さんや、お母さんに有難いと思ったことがありませんでした。だって、ぼくのような運命の子供は、国から費用が出て育てられるのがあたりまえ、和尚さんやお母さんは、ぼくたちを育てるのが仕事なんだと思っていましたから。でも、この間、ひさしぶりにお寺に帰った時、お母さんは、相変わらず、もんぺ姿で働いていましたね」手紙の中でそう語る青年は、社会に出てみて、はじめて奥さんの愛情の深さを知ったのです。
 その感謝が、一台の自転車となりました。奥さんは、それを眺めたり、さすったりしながら、手を合わせ「私は幸せ者ですね」と和尚さんに語りました。

 仏さまの教えの中に、幸せを生み出す"三つの田ん圃"という意味で<三福田>という言葉があります。一つ目は仏・法・僧の三宝を敬う<敬田(きょうでん)>。二つ目は、父母の恩に報いる<恩田(おんでん)>。三つ目は、貧しい人々の悲しさを哀れみ、施す<悲田(ひでん)>です。この三つの田ん圃を耕やし、功徳の種まきをすることが、幸せに実を穂らせることになるのだと、仏さまは説かれます。
 円福寺さんの福祉施設が、この「悲田」の教えに基づいているのは言うまでもありません。
 「ぼくが"お母さん"と呼べる人は、お寺のお母さんしかいません。今頃になって、それが分かったなんて。どうか許してください」そう語る青年の心にも、仏さまを敬う気持ちと、恩に報いる"二つの田ん圃"が耕され始めたと言えるのではないでしょうか。  (T)

No.011 「空(から)のお布施袋」

 檀家の奥さんから、こんな相談を受けました。お祝い事で、お隣りから御祝儀をいただいたそうです。ありがたくいただいて、夜、その袋を開けてみると、なんと空っぽなのです。包み紙には、金額が書いてあります。しかし中身は空っぽです。もちろん悪意であろうはずがありません。
 さあ奥さん困りました。「お祝いのお返しをどうしようかしら」あれこれ思案しているうちに腹も立ってきました。「だって何も貰っていないのに、お返しなんて。でもお返ししなければ変だし、空っぽでしたと言いに行けば、気まずくなるかも」それでとうとう私に相談したということです。こんな相談には私も困ってしまいます。

 私にも似たような経験があります。ある檀家さんのお葬式に行った時のことです。翌日の初七日の時にお葬式のお布施を手を合わせていただきました。さてその日の夜、お布施の袋を開けるとなんと空っぽ。坊さんとて人の子です。あるはずのお布施の中味が空っぽでは、正直に言えばガックリきました。でも坊さんの立場として、お布施の中味が空っぽでしたからと催促しにくいものです。「まあいいや、このお家には、遠いからという理由で、お盆にもお伺いした事はないし…仕方ないか」と気楽に考えていました。そのすぐ後、電話がありました。「あのもう一つお布施の袋が出てきたんです、開けてみるとお金が入っています。ひょっとすると、御住職さんに差し上げたお布施の中は、空っぽだったのでは」と恐縮し切った声で檀家さんが話します。私は、正直いってホッとしました。

 お釈迦さまの十大弟子の一人に須菩提さまという方がいます。この須菩提さまにマガタ国の王さまが供養として小屋を寄進しました。ところが、その小屋には屋根がありません。屋根を葺くことを忘れていたのです。屋根のない家なんて、私たちから見ると貰わぬ方がましです。しかし、須菩提さまは、その小屋をありがたく頂戴し、住み込んだのです。天もその間は遠慮して雨を降らせなかったそうです。 そのため、マガタ国は旱魃(かんばつ)に苦しみ、原因を調べた王さまは、あわてて須菩提さまの小屋の屋根を葺いたそうです。

 「たとえ空の袋でも、いただかなくてはならない時には、ありがたくこれを受けましょう、あとは何とかなるものです」と奥さんにこの時こう答えました。後日、空っぽのご祝儀に気付いたお隣りさんは、改めてお祝いを持ってこられたそうです。人生、後で笑い話になることが多いものですね。 (M・N)

No.010 「親の願い、子の思い」

 子供の成長は、親にとっては大きな楽しみです。将来、こんな人間になって欲しい、あんな仕事をして欲しいと、子供以上に、親の方が身勝手な夢を持ってしまうようです。「本人の意志を、大切にしてやりたい」といつもは言っている私も、正直なところ、本心では、自分の跡を継いで欲しいと思っています。

 我が家の長男坊は、小さい時分から「大きくなったら、お坊さんになる」と言って私を喜ばせていました。お寺で生まれたのだからお坊さんにならなければいけないとでも思っているのか、その気持ちは、十歳になった今でも変わらないようです。そこで夏休みを機会に、お経の練習を始めました。最初は嫌がるかなと心配もしましたが、意外と素直にやってくれます。一句一句を、口うつしで教える私の声に応じて、大きな声で繰り返してきます。木魚を叩く私も、自然に力が入ります。そんな折、ある檀家さんが、「それなら白衣を」と言って子供用に縫ってくださいました。すると今度は、法衣も必要という事になり、私のお古を小さくしてもらうことになりました。トントン拍子に事が進むにつれて「それじゃ、お盆には一緒にお檀家まわりに回ったら」という話まで出て来ました。思いもかけない事でとまどう私を尻目に、当の本人は、白衣と法衣を身に付けた自分の姿を鏡に写して見て、テレ笑いをしながらも、まんざらでもない様子なのです。いずれはそうなって欲しいと思っていた私ですから、これはいいチャンスかもしれないと、連れて行く事にしたのです。それからは、お経の練習は"特訓"に変わり、何とか一緒について読めるようになりました。
 いよいよ当日、目を細めながらも心配そうに見送る寺族を後に、本人は意気揚々としています。一軒、二軒と伺う檀家さんは喜んで彼を迎えてくれます。私の後に坐って読むお経も、段々と声が大きくなり、その響きの穢れのなささえも感じます。最後に伺ったお家のおばあちゃんなどは、涙を流して喜んでくれ、「立派なお坊さんになってね」と、彼の手を握りしめて言います。それにとまどいながらも「うん」と答える我が子に、側にいた私もニタニタとしてしまいました。「ご住職さん、いい跡取りができましたね」と皆から言われて私自身、目尻を下げていたのです。
 お寺に帰って、我が子に今日の感想を聞くと「足が痛かった」とたった一言。それを聞いた私は、ガックリしながら、思い込みが先行した親バカな自分の姿を思い、一人顔を赤らめてしまったのです。 (W)

No.009 「貸した傘」

 「借りた傘、雨が止んだら邪魔になる。親の恩、嫁を貰えば邪魔になる」、こんな言葉を目にしました。
 なるほど、雨が降り出したときに貸してもらった傘は、実にありがたいものです。ところが、雨が止むと途端にこの傘が邪魔になってしまいます。そして、お礼を言うことはおろか、その傘を返すのを忘れてしまうのです。

 先日、車を運転している時、聞くともなく聞いたラジオの投書番組で、中年の女性のこんな告白を耳にしました。それは、およそ二十年ほど前の夏の夕方のこと。突然、降り出した雨に、あわてて洗濯物を取り込もうと庭先に出た彼女は、向かいの家の軒先にたたずむ、一人の少年を目にしました。
 見れば少年は、小脇にはさんだ新聞の束を濡らさないようにしっかりと抱えています。家計を助けるためのアルバイトなのでしょう。彼女は、この新聞配達の少年に同情しました。「傘を貸してあげよう」と思い、急いで家の中に戻りました。そして新しい傘を手にした時、ふと考えたのです。「でも、貸して返ってこなかったらどうしよう」、そう思い直した彼女は、隅の方にある誰も使わなくなった古い番傘 を選んだのです。
 「これなら捨てるつもりだから惜しくないわ」。そんな彼女の思惑など知らない少年は、「ありがとう」とお礼を言うと、元気よく駆け出して行きました。
 そして、翌日のこと、「ごめんください」という声に玄関に出てみると、昨日の少年が立っています。「昨日はありがとうございました」そういって差し出された番傘に、彼女は、「いいえ」というのが精いっぱいだったのです。
 そして少年の帰った後、その傘を開いてみると、破れた所に、きれいに紙が貼ってありました。少年のお母さんが修繕してくれたのでしょうか。彼女は、昨日の自分が恥ずかしくなりました。「私は、なんてつまらない考えを起こしたんだろう」と思ったのです。そして、こんな態度のとれる少年の家庭をうらやましく思わずにはいられなかったそうです。

 たとえ貧しくても、人の善意に素直に感謝した少年の態度は、この女性の心に爽やかな風を送り込みました。そして、自分も、こんなふうに子供を育てる母親でありたいと思ったそうです。
 あれから二十年、少年も今では成長して、社会でりっぱに活躍しているでしょう。お嫁さんももらい、子供もいるかもしれません。いつまでも恩を大切にし、次の世代にも、心のあたたかさを伝える人であって欲しいと思ったのです。 (M)

No.008 「物差し、いろいろ」

 何が正しいのか、分かりにくくなっている現代です。子供に意見しても、古いとか、ワンパターンだと反発されます。
 ところが、ついこの間のことです。六年生になる息子が、「お父さん、この物差しの目盛り、おかしいよ」と言ったのです。見れば、私の母が裁縫用に使っていた、古い竹製の物差しでした。
 これは、昔の人の考え方を教える、良い機会だと思った私は言いました。「お前たちは知らないかもしれないけど、これは鯨(くじら)尺と言って、着物を縫う時に使う目盛りなんだ」と説明すると、息子は「お父さん偉いんだね、昔のことを知っているなんて」と、私をちょっと見直したようです。
 そこで止めれば良かったものを調子に乗って、「他にも、曲(かね)尺と言ってね、家を建てる時に使う目盛りがあるんだよ」と言ったばっかりに、「それは、どこが違うの?」と聞かれ、答えに窮してしまいました。実は、センチ・メートルの世界で育っている私にも詳しいことは分からないのです。

 そんな時にふと思い出したのが、私のお寺に出入りしている大工さんの言葉でした。「今の子供が、可哀想なのは、一つの物差しでしか、ものを考えられないことですな。ワシの若い頃には、いろんな物差しがあった。勉強ができなくたって、ちっとも気にならなかったもんだ」
 そんな大工さんの言葉に対し「どうして?」と尋ねると、「ワシは勉強はダメ、体操もサッパリ、歌もオンチ。だけど、和尚さん、鉛筆を削らせたら、クラスで一番だったんだよ」と言いました。「それで?」と次の言葉を促すと、「だから、先生は言ったんだよ。お前、大工さんになれ。そしたら素晴らしい家が建てられるぞってね」「それで大工さんになったんですか」と聞くと、「あたりめえよ、先生がほめてくれ たんだからな」と答えました。
 無器用な私には、そんな大工さんのような生き方はできなかったかもしれません。でも、そんな才能を伸ばしてあげた先生は、本当にすばらしい先生だったんだなと思いました。
 そう言えば、私にも、「坊ちゃん、お父さんの跡を継いだら、きっと立派なお坊さんになれますよ」と励ましてくれた檀家さんがいたのです。その言葉を信じて、私もお坊さんになろうと決心をしました。
 それぞれが、自分の花を咲かせようとする時、もっと大きな眼で世の中を見る 必要がありそうです。自分の姿にあった物差しを探してみることがとても大切な現代ではないでしょうか。 (T)

No.007 「浮浪者の説教」

 東京で会議のあった帰り道での出来事です。京都からやって来た友人と東京駅に着いた私たちは、予定より一列車早い新幹線に乗り込みました。
 新幹線の座席は、二人席と三人席になっています。友人は「二人席にしよう」と言いましたが、私は三人席を指さし「この方が楽だよ」と主張し、まん中の席に、コートと カバンを置きました。

 「こうしておけば、誰もこない」と考えたからです。友人が「そんなことを、坊さんがしていいのかな」と首をかしげます。彼も坊さんです。「今日は法衣を着ていないからいいんだよ」と私は答えました。法衣を着ている時には、とてもそんな事は出来ません。「坊さんなのに、なんて図々しいんだ」と思われては困るからです。
 そこで友人に「こんな歌があるよ」と言って紹介したのが「世の人に欲を捨てよとすすめつつ、あとで拾うは寺の住職」という狂歌でした。これは二宮尊徳翁が弟子たちと話した時に、引き合いに出した歌だそうです。

 坊さんは、人々に欲のあさましさを説かなければならない立場にあります。それだけに、自分自身にも厳しい目を向けていないと、世の中の非難にも会うものです。
 幸か不幸か、その夜の新幹線は空(す)いていて、私は苦しい立場に追いこまれなくてすみました。
 そして京都に着いた時、私は九州行きの列車に乗り換えるために、友人とホームに降り、少し時間もあったので、いったん改札口を出ました。

 その時、一人の浮浪者が「タバコをくれないか」と近寄って来たのです。あいにく、私は新幹線の中で全部喫ってしまい、一本も持っていませんでした。そこで「分った、 自動販売機の所へ連れて行ってくれ」と彼に案内させたのです。
 今度は坊さんらしく、布施をする気分になっていました。そこで販売機から出て来たタバコ一箱を「これをあんたにやるよ」と差し出しました。すると彼が「いらない」と言 います。「いらないって、あんたがくれというから買ったのに」と言うと「他人から、たくさんものをもらうのはいけないことだ。自分は一本だけもらえばいいよ」と言って、 一本だけ受け取ると、「じゃあ」と言いながら、その場を去って行ったのでした。私と友人はポカーンとした顔で彼を見送りました。

 そして二人で、思わず苦笑いしたのです。説教する身の坊さんが、ふと出会った浮浪者から「少欲知足」-欲少なくして足るを知る-という、仏さまの言葉を教えられた気がしたからです。
 そしてなぜかこの時も「法衣を着てなくてよかったな」と思ったのでした。 (J.N)

No.006 「悲しみから祈りへ」

 肌をさすような冷たい雨がやっとあがった、二月のある日のことでした。小さなお骨つぼを胸に抱いたその女の人は、今にも泣き出しそうな顔をしていました。
 頼まれてお墓までお伴をした私には、その女の人の胸の内が、痛いように分かりました。小さなつぼの中のお骨は、彼女の赤ちゃんです。赤ちゃんの名前は、裕子ちゃん。その裕子ちゃんが亡くなったのは、もう四年も前のことになります。
 死因は、急性心不全でした。その病名を聞いた時、私は耳を疑ったのです。お年寄りならともかく、赤ちゃんにも、そんな病気があるとは思いもしませんでした。
 その日、買い物から帰宅したお母さんは、ベビーベッドに寝ている裕子ちゃんを見て「よく眠っているわ」と安心して、夕ご飯の仕度にとりかかっていたのです。そこへ、お父さんが帰って来て、裕子ちゃんを抱きかかえた時、事(こと)の異変に気がつきました。なんと裕子ちゃんの息は、四時間前に止まっていたのです。
 あまりにも意外な出来事に、お母さんは、半狂乱。「どうして、どうして」と叫びながら、自分のうかつさを責め、ノイローゼのようになりました。「あの時、自分がもっと注意していたら」と、そんな思いが、四十九日を過ぎても心に重くのしかかりました。
 「早く納骨をしなければ」というまわりの人々の言葉にも「雨風にさらされては可哀想」という思いになり、お骨つぼをなでては、「お母さんが悪かったの」と涙を流す毎日が続いたのです。
 そんな様子を心配して、おばあさんがお寺に相談にやって来ました。その時、私はふと、お地蔵さまの和讃の中にある「ただ明け暮れの嘆きには、むごさ悲しさ不愍さと、親の嘆きは、汝等が受くる苦患の種となる」という言葉を思い出したのです。ただ嘆き悲しんでいるばかりでは、かえってあの世に旅立ったみどりの子の先往きのさまたげとなるという言葉。
 だから私は、本人にこう言いました。「あなたが悲しめば、悲しむほど、裕子ちゃんも悲しいのですよ。いつまでもメソメソしているお母さんを見るのは、裕子ちゃんも辛いのです。それよりは裕子ちゃんのことを、仏さまにお願いしましょう。きっと仏さまがあなたの代わりに、裕子ちゃんを守ってくださいますよ」そう話した時、彼女は「生きていれば、あの子は、もう四つ。あの世で大きくなっているんですね」と気をとり直してくれたのです。
 納骨の日は、悲しみとの別れの日ともなりました。流すだけ流した涙は、今度は祈りの涙へと変わるにちがいないと私は思ったのでした。 (M.N)

No.005 「ドクター住職」

 毎日新聞のキャンペーン「宗教は心を満たすか」という記事に、田中雅博さんという、ちょっと変り種のお坊さんの話が紹介されていました。 “変り種” というのは、彼がもとお医者さんであり、今も宗教と医学の接点を求めて、がんばっているお坊さんだからです。
 大学を卒業した田中さんは、国立ガンセンターに勤務し、十三年の間、患者の治療に当りました。ガンといえば現代では一番恐れられている病気、死ぬ人の数は決して少なくはありません。そんな環境の中で「医者として治療以外の ことは何もしてやれない自分自身に無性に腹が立った」と田中さんは語ります。

 「たしかに患者の中にはベットの中でお経をあげ、静かに死を迎えようとする人もいました。でも、それは例外的な存在です。たいていの人は『死ぬのはいやだ、死ぬのは恐い』と白衣にしがみつき『治せないヤブ医者なんて必要ない。別の医者を呼んでくれ』となじられることもしばしばでした。私は、そんな苦しむ人々の支えになってあげられないジレンマにずっと悩み続けたのです」
 こう語る田中さんは、実をいうともともとはお寺の息子なのです。ところがお父さんが「お前は医者になれ」と勧めたといいます。医者と坊さんといえば、世間の常識では全く反対の仕事。簡単にいえば、死ぬまでは医者に頼り、死んでからが坊さんの出番というのが一般的な認識です。だけど、そんな割り切り方が田中さんにはできなかったのでしょう。「手を尽くした患者さんが死んだ日は、うなだれて家に帰り、黙ってビールを飲んでいました。患者さんへの思いは勿論、その家族の気持ちを考えると、やりきれなかったようです」と奥さんが当時の田中さんのことを話しています。

そんな折、田中さんのお父さんが突然亡くなり、彼はこのまま医者を続けるべきか、それともお寺を継ぐべきかという選択を迫られたのです。その時、彼は今までの地位は全て捨てて、生と死という問題を一から学び直してみようと決心し、お坊さんの大学に再入学をしたのです。

 「今になって、なぜ父が私に医学を学ばせたかったのか、わかりかけてきました。それは、生きた仏の教えを説くためには、老・病・死に苦しむ現実の人の姿を 知れと言いたかったのでしょう」そう語る田中さんは、今、 “ドクター住職”として、地元の人々の悩みに答える、現代に生きるお寺づくりに励んでいる一人だと言えるでしょう。 (W)

No.004 「法事証明書」

 『法事証明書』というのがあるのを知っていますか。
 かくいう私も、この証明書を初めて見た時は、びっくりしました。法事のおつとめが終わって、帰ろうとする時、そこのご主人が、申し訳なさそうに出された紙には、「右の者、××家の法事に出席したことを証明する。○○寺住職」と書いてあ りました。これにサインをし、判子(はんこ)を捺(お)せば、その人のアリバイが成立するという訳です。
「近頃は、お葬式や法事を理由に、会社を休む連中が多くなりましたので、会社も苦肉の策としてこんな 認明書 を作るようになったんですな」とご主人は話します。
 「もちろん、それが本当のことなら問題はないんですが、それを口実に、本人たちはレジャーに出掛けているということが多いらしいんです」とこぼすご主人に、チャッカリした現代の世相を知る思いがしました。

そういえば、いつだったか、喫茶店で、何人かのOLが、楽しそうに旅行のプランを話していた時、「今度は、どこの親戚に死んで貰おうかな」という言葉を口にしていたのを、思い出しました。あれは、偽装のアリバイ工作だったのです。自分の楽しみのために、仏さまやご先祖を、ダシにするなんてとんでもないことですね。そんなことばかりをしていたら、いつかバチが当るぞと思っていたら、こんな 記事を目にしました。
 例によって例のごとく、日本の観光客が大挙して、インドネシアを訪れた時のことです。飲めよ歌えよで、ドンチャン騒ぎをし、両手に抱えきれないほどのお土産を買った一行が、帰国しようと空港に行くと、たくさんのインドネシアの人たちが、空港にいます。「なんだろう」と聞くと、「イスラム教の聖地メッカへの巡礼団だ」とのことです。「フーン」と興味も半減した時です。「巡礼団の人数が多いため、東京行きのジャンボ機は、メッカ行きに変更します」とのアナウンス。お陰で東京行きはDC10という普通機に変わってしまい、日本人客の多くが積み残しにされたそうです。
 「そんないい加減なことがあるか」といくら日本人が抗議しても、年に一度の巡礼を大切にするインドネシアでは通じません。「あなた方は遊び、私たちは信仰」という彼らの信念は強いのです。「だから後進国は困るんだ」と、ボヤいた客も いたそうですが、はたして技術の先進国といわれる日本人が、心の先進国であるかどうかは疑問です。
心も先進国になるためには、「証明書」なんていらない信仰心を持つことも、大切ではないでしょうか。 (M)

No.003 「ブッダ・バイ」

「癌(がん)になってよかった」、そんな事を思う人はいないでしょう。
 ところが「癌になってよかった」と本心から思い、『癌になってよかった、いのち輝け』という本を、出版した人がいます。
 いえ、いたといった方が正解でしょう。その人の名は、黒田英之さん。北九州の、お寺の住職です。平成四年九月、〈全日本仏教徒・九州大会〉が、北九州市で開かれることになり、黒田住職は、その責任者として活躍されました。
 しかし、その直後、直腸癌であることが分かったのです。そしてその翌年には肝臓癌、さらに平成六年には癌が肺に転移していることが告げられました。
 「先生、私はあと何年生きられるでしょうか」と、尋ねた黒田住職。「強いて申し上げるなら二年半です」そう答える医師に「よかった。明日死ぬ、明後日死ぬでは、死の準備ができません。二年半あれば充分です」
黒田住職は、こう話して、自分に残された短い人生を精いっぱい生きようと決心しました。
 「癌になって、よかった」と言ったら、「居直りですか」と聞く人がいます。しかし、私のこの言葉は決して「居直り」でもなんでもないのです。癌になると死が目の前にある………死に直面すると、人は生きることを大切にすると語る黒田住職。
 「一日一日を大切にして生きると、その毎日に張りが出てくる。だから人から『最近明るくなりましたね』と言われる。『ええ、癌になって明るくなりました』と答える私。『ウソだと思うなら貴方も癌になってごらんなさい、ハッハハ……』そんな冗談がいえるようになりました」とこの本には書かれています。
 そんな黒田住職の、一日一日の思いがまとめられて本になったのは平成七年の四月十日です。友達や檀家の人達が、黒田住職を励まそうと、二十四日に「出版祝賀会」を開くことになり、五百人もの人が集まりました。
 その席で、皆に「ありがとう、ありがとう」と、お礼をいった黒田住職は、車椅子に乗ったまま壇上に上がって、こんな挨拶をしました。「私は、もうそんなに長くは生きられないでしょう。お別れをしなければならない時が来ると思います。でも、さよならとも、グッドバイとも言いたくありません。私がいいたいのは、 ブッダ・バイ。今度は、仏さまの側でお会いしましょう」
 このお説教ともいえるご挨拶の言葉にみんなは大きな拍手を送りました。
 そしてその一週間後の五月一日、数え年七十歳で黒田住職は、仏さまの下へと旅立っていったのです。 (T)

No.002 遅刻した法事

先日、あるお宅の法事に出掛けた時の事、予定より少し遅れて到着した私に、「みんなが首を長くして待ってますよ」と、奥さんが言いました。
 「どうもどうも」と言いながらも、腹の中では「十分ぐらい遅れたぐらいでいや味をいうな」と思っていたのです。

 日頃愛想のいいご主人も何故かブスッとした顔をしています。そんな事にはお構いなしで、お経を読み「次のお家がありますから」と、雰囲気の悪さにロクに口も聞かないでそのお宅を出ました。

 さて、その次の家でのご回向を終え、「今日の仕事も、これですんだ」とホッとして、その家の時計を見ると、三時十五分、私の腕時計を見ると二時四十分、「お宅の時計ずい分、すすんでますね」と注意すると、「いえ、ウチの時計は合ってますよ」という返事、「えッ」と驚いたのはこちらです。
 「それじゃ、あの家には約束の時間より四十五分も遅れて行ったんだ。ブスッとするのは無理ないな」とそう気がついた時から、後悔が始まりました。「こんな事なら、もっと丁寧に謝っておくべきだった。きっと横着な坊主だと思っているだろうな」と悔んでも取り返しはつきません。

 でも反省すべき点は反省しなければなりません。
 その第一は、いつも時間ぎりぎりでなければ行動しない、私の余裕のなさ。第二は自分の腕時計を過信しすぎたことです。確かに最近の時計は、精巧になったけれど、狂わないという保証はありません。これと同じように、私たちは、しばしば 自分の無反省な判断のもとから、大きな失敗を犯すことがあります。俗に「自分の物指しで、他人を判断するな」といいますが自分勝手な基準で、他人を正しいとか、間違っているとか決めつけやすいもの。はたして、これでいいの でしょうか。

 お釈迦さまは、行動を起こす時には、「心を落ち着け、我が心の執着を離れ、しかる後に立ち上がれ」と教えていらっしゃいます。この教えに私はそむいていたのです。今まで大丈夫だったから、今度も間違いないという安易さの中で、他人に 迷惑をかけてしまったこの失敗、もっと余裕をもち自分をふりかえる時間があったなら、こんな事はなかったはずです。

 あらためて、自分を反省し、すぐにその家にお詫びの電話をしました。まさに「過ち改むるに憚(はばか)ることなかれ」という先人の教えを思い出したからです。  (J・N)

No.001 「中道(ちゅうどう)と」

私は怒りっぽい質(たち)です。すぐに、カーッとなる性分で、 みんなから「瞬間湯沸かし器」みたいだと冷やかされます。
 母は「人を導かなければならないお坊さんが、そんな気の短いことでどうするの」と私をさとします。

 確かにその通り、お釈迦さまは、人間をダメにする三つの毒のうちの一つに「いかりの心」すなわち、むやみに腹を立てることを挙げておられます。
 しかし、今の世の中で、あなたは腹を立てずに生きられますか。
 不安、イライラ、これを我慢していたのでは、ストレスがたまり、ノイローゼになりそうです。
 現代の若者は、無気力、無関心、無責任の三無主義だといわれます。社会になんらの興味を示さず、小さな自分の世界に閉じこもっている若者たちが増えました。彼らは、今の社会に腹を立てる気力さえ失ったのでしょうか。
 お釈迦さまが「むやみに腹を立てるな」とおっしゃるのは「無気力、無関心になれ」というのではありません。

 仏教には「中道」という言葉があります。まん中の道という字を書きます。それは「極端な道に走ってはいけない」という意味です。
 お釈迦さまの弟子にシュローナという人がいました。彼は大金持ちの家に生まれ、大事に大事に育てられました。
 ところが、彼は一念発起してお釈迦さまの弟子となり、誰にも負けないような修行をしていました。その為、無理をしすぎて、足の裏が破れ、血だらけになりました。その時、お釈迦さまが、「シュローナよ、お前の好きな琴の音は、 糸を強く張った時にいい音が出るのだろうか、それとも、ゆるめて張った時にでるのだろうか」とお聞きになりました。

 シュローナは、「強くても、ゆるくてもいけません」と素直に答えたのです。「その通りだ、シュローナよ。人も、また、極端な道をとる限り、決して、いい修行はできないものだよ。なまけず、無理をせず、自分の道を歩んでいくことが仏の道なのだ」とおさとしになりました。

 今の世の中、むやみに腹を立てるか、無関心になるか、という両極端の人が増えています。健康的な腹の立て方、そんな方法を考えてみるのも必要な時代 ではないでしょうか。  (M・N)

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