住職エッセイ集 蓮の実通信 No.030「しゃぼん玉」
今回の蓮の実通信のテーマは「無常と別れに寄せる心」です。
- 春の嵐と桜に人生の無常と別れの情を重ねる。
- 別れにはやるせなさと受け入れがたい心が宿る。
- 我が子を失った詩に人の深い悲しみと祈りが表れる。
春は命の息吹に満ちた季節ですが、同時に別れや無常を感じさせる時でもあります。美しく咲く桜が、風に散る姿は、私たちの心にさまざまな思いを呼び起こします。ある詩人の体験を通して、別れの悲しみと祈りの心について考えてみましょう。
「しゃぼん玉」
すっかり春めいてきました。木々の梢には若葉が次々に芽を吹いて、あたたかな日射しの中で生命の歌をかなでています。でも、春にはチョッピリいじ悪なところもあります。待ちに待った桜が咲き始めたかなと思ったら、突然強い風を吹かせたり、雨を降らせたり、春の嵐は人の世の無常さえ感じさせます。
何かの小説の中で「花に嵐の喩(たと)えもあるぞ、さよならだけが人生だ」という文句を読んだ記憶があります。桜の花は、日本の国花。日本人の心にピッタリくる花だと言います。「花は桜木、人は武士」だとか「貴様と俺とは同期の桜」だとかパッとさいてパッと散る潔さが、私たち日本人と共鳴するのでしょう。
しかし、それは一面強がりでもあると思うのです。心の中には、それと反対のやるせなさもあります。たとえば「さようなら」という言葉には、「おなごりおしゅうございますが、いたしかたありません。左様(さよう)ならお別れしましょう」というなんともセンチメンタルな感情があります。どうしようもないやるせなさ。私たちはこんな思いをしばしばするものです。
あの放浪の詩人といわれた野口雨情が旅先の四国にいた時のことです。雨情は、生まれたばかりのわが子が死んだという知せを受けました。遠い旅の空でなにもしてやることのできなかった雨情は、我が子の魂をなぐさめるために、一編の詩を作ったと言われます。
しゃぼん玉、とんだ屋根までとんだ。
屋根までとんでこわれて消えた。
しゃぼん玉、消えた、飛ばずに消えた。
うまれてすぐに、こわれて消えた。
風、風、吹くな、しゃぼん玉、とばそ。
私たちのよく知っている童謡「しゃぼん玉』の歌は、まさに雨情が、涙ながらに読んだ歌だったのです。
雨情の友人であった詩人の石川啄木は、「わずか一間四面の空気を吸うために、この世に生まれて来たんだねぇ」と慰めたと言います。「しゃぼん玉のような、はかない命、無常な風よ、どうか吹かないでおくれ、この玉をこわさないでおくれ」と祈る、親のせつない気持ち、これもまた、私たち日本人の心だと言えるでしょう。
風よ、どうしても吹くなら、この子の魂を仏さまの世界まで運んでおくれ、そう願う野口雨情の気持ちが、私たちの心にもしみとおってく る歌なのです。
著者(J・N)



