住職エッセイ集 蓮の実通信 No.029「上げ心よりも 下げ心」
今回の蓮の実通信のテーマは「お供えに生きる分かち合い」です。
- 供え物を巡る出来事から「下げ心」の大切さに気づく。
- 上げっぱなしではなく分かち合うことで供養が生きる。
- 施しの心こそ仏の願いであると学ぶ体験。
仏さまやご先祖さまへのお供えは、日々の感謝を形にした大切な行いです。しかし、その本当の意味を深く考える機会は意外と少ないかもしれません。ある出来事をきっかけに、「お供えをする心」と「いただく心」の両方の大切さに気づかされました。そこから見えてくる教えを考えてみましょう。
「上げ心よりも 下げ心」
ある檀家さんに、ご回向に伺った時のことです。お経をあげている私の目の前に突然あらわれた坊やが、お仏壇に手を合わすと、お供えのお饅頭を取って、さっと逃げて行きました。
後ろでおまいりしていたお婆さんが「こらっ」と叫んで追いかけましたが、お年寄りの足では、とても坊やには敵ません。「ほんとにしょうがないったらありゃしない。すみませんねぇ、躾がなってないで。だいたいうちの爺さま が悪いんです。私がお供えを上げると、手も合わせないで、さっさとそれをつまむんだから」そうぼやくお婆さんに、「まあいいじゃないですか。お供え物は、昔から“上げ心よりも下げ心”と言うんですから」と私はなぐさめました。
あなたには、この言葉の意味が分かりますか。私たちは、仏さまやご先祖さまに、ご飯やお菓子や果物をお供えします。ところが得てして、そのお供え物を上げっぱなしにしておくことが多いのです。そして気がついた時には、干枯らびていたり、カビがはえてしまったり。そんなもったいないことをしてはいけない、おいしいうちに、仏さまだけでなく私たち人間も、いただいてこそ、お供えも生きてくるという意味ですね。
実は私自信も、苦い思い出があります。お酒をほとんど飲まない私は、本堂にお神酒が上がっ一向にそれを下げようとしませんでした。 そんな一人のご信者さんから「お尚さん、仏さまにお酒を上げたら悪いんですか」と質問されました。「そんなことはありません。ちゃんと上がっているじゃありませんか」と答える私に、「だって半年も前のお酒がそのままじゃないですか。これじゃあ、次にお供えしようと思っても、気がひけます。早くお下げして場所を空けてください。きっと仏さまも、古いのより、新しいお供えを待っておられるんじゃないですか」こう言われて、私は自分のかつさに気がついたのです。
私がいただかなくても、お下がりを喜んでもらってくれる人がいることなども、私はそこまで頭がまわらなかったのです。さっそく、お寺のお世話してくださる人たちに、差し上げると「これは結構なものを」と、えびす顔。「おつとめが沢山あがったお酒だから、ご利益も多いでしょう」 と言ってくれました。
振り返って本堂の仏さまを見上げると、「これでほっとした。今まで上げっぱなしで、手がだるかったぞ」といわんばかりのお顔をなさっていました。やっぱり仏さまは、人に施すことをなによりも願っていらっしゃるのですね。そう思いませんか。
著者(M・M)



