仏教エッセイ集 新・仏教説話 第二話「悟りへの道案内」
今回の新・仏教説話のテーマは
「悟りは、教えを聞くだけではなく、自ら歩むことで得られるもの」
です。
お釈迦さまは、悟りへの道を示すことはできるが、その道を実際に歩み、体験し、到達するのは一人ひとり自身であると教えられました。
第二話「悟りへの道案内」
人間の心の満足は、お金では買えないと言われるように、信仰もまた、自分の努力なくしては、その神髄に触れることはできません。
ある日のこと、お釈迦さまのところに、一人の男がやって来て、「悟りとは何か」と尋ねました。
そこでお釈迦さまが、一通りの説明をなさると「それを知れば、あなたのお弟子は、みんな悟りを得るのか」と突っ込んで来ました。
世の中には、こんな意地の悪い質問をする人が居るものです。
いや、この男の場合、意地が悪いと言うより、完全な答えが欲しかったのかも知れません。
これに対し、お釈迦さまは「悟る者もあれば、悟らぬ者もある」とお答えになったのです。
男は「なあんだ」と失望しました。
と言うのも、今までいろんな修行者に会ってみたが、最後はいつも同じような返事が返って来たからです。
「結局は、本人の能力次第だと言いたいのだろう」と男はふてくされていると、お釈迦さまは、逆にこんな問いを、男になさったのです。
「そなたは、お城に行く道を知っているかね」
「そりゃ、知っているとも」
「それでは、その道を私に教えてはくれないだろうか」
「お安いご用」
男はそう答えて、その道順をお釈迦さまに教えました。
するとお釈迦さまは「ありがとう、その道順を知れば、お城にちゃんと着けるだろうか」とお尋ねになったのです。
「教えた通りに、注意深く、間違いなく歩けば、お城に着けるはずだ」と言う男に、「もし私が、途中で休んだら、どうなるだろうか」と聞くお釈迦さま。
「着くのが遅れるだけさ」と、男はうそぶきました。
その時、お釈迦さまは「悟りの道と同じだね」と仰言ったのです。
男は「エッ」と聞き返しました。
「私はそなたらに、悟りへ到る道を教えることはできる。
しかし、歩むのは、そなたら各々自身なのだ。
確かに、途中で道に迷う者もあるだろう。
しかし、求める心さえ失わなければ、私の得た悟りの城に、誰もが辿り着けるのだ」と語られたのです。
私たちは、仏さまに救いを求める時、直ぐにおんぶにダッコの甘えを生じ易いもの。
でも仏さまは私たち自身の内に、苦しみの世界から脱出する力があることを教えてくださっています。
お経の中にある「われただ道を教えるのみ」と言う言葉は、冷たいようですが、その中には深い愛情が隠されていすのです。
信仰の道は、自分自身の体験によって確かなものになることを私たちは知らなければなりません。
そして、その体験が、今度は人に道を教えうる自信をも生み出すのです。
著者(J・N)
このお話でわかること
- 仏さまは救いを与えるだけでなく、自分の中にある力を気づかせてくださる存在であること。
- 信仰は知識ではなく、自ら歩む体験によって深まること。
- 「われただ道を教えるのみ」という言葉には、自立を願う深い慈悲が込められていること。
信仰の道は、誰かに運んでもらうものではなく、自らの足で歩んでこそ、本当の確かさとなるのです。



