新・仏教説話 第一話-第十話

第三話 別れのつらさ

新・仏教説話 第三話 別れのつらさ

私が、未だお坊さんに成りたての頃の話です。
近くに初老のご夫婦が住んでいました。
その御主人が突然亡くなった時、奥さんが私に向ってこう言われました。

「主人は、私が杖とも柱とも頼む唯一人の人でした。
私の人生は、主人抜きにしては考えられません、この先もう生きる力が無くなりました」と。
これを聞いた若い私は、どう言って慰めて良いのか分かりませんでした。
その帰り道、私はお釈迦様の話を思い出していました。

インドはクシナガラに近い沙羅双樹の元に、八十歳の身を横たえられたお釈迦様は、弟子たちに向って、この世を去る日が近づいたことを告げられたのです。
弟子たちは非常に悲しみましたが、中でも十大弟子の一人である阿難は、お釈迦様のお傍に寄って、泣き崩れておりました。

この有り様を見たお釈迦様は、次の様に諭されました。
「止めよ、阿難。悲しむな、嘆くでない。
私は以前から、このように説いておったではないか。
人は愛するものや、好きなものからも、必ず別れなければならないのだ。
いかに私と言えども、この世に存在し続けるというのはできないことなのだよ。」

しかし、阿難の悲しみは治まりません。
「世尊よ、これまで私たちは、あなたを心の支えとして、あなただけを頼りに生きて来たのです。
あなたが居られなくなったなら、私たちは何を頼りに生きて行けば良いのでしょうか。
どうか私たちをお見捨てにならないでください。」

お釈迦様はさらに諭されます。
「お前たちは私の死後、も早我らの師はこの世に居ないと思うだろう。
しかし、私の体が滅して後、私が説いた教えを私自身として受け止めた時、私は永遠にお前たちの中に生き続けるのだよ。」
そして、最後にこう遺言をされたのです。
「さあ修行者たちよ、お前たちに告げよう。
形あるものは全て滅するのだ、怠ることなく努め励むが善い」

人生は、出会いや別れの繰り返しです。

私たちが愛する人との別れの辛さに挫けてしまったなら、亡き人はきっと悲しむに違いありません。
それよりも、その人との思い出を大切に、その人が願っていたように生きることこそ、残された者の歩む道だと言えましょう。

(T)

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