新・仏教説話 第一話-第十話

第十話 蛇に生まれ変わった男

新・仏教説話 第10話 蛇に生まれ変わった男

昔、インドのある町に、たいへんなケチン坊がいました。一生かけて貯めた財宝を、ぜんぶツボの中に入れて洞窟の奥深くに隠したばかりか、なんと自分の死んだ後、誰かが、隠したツボの中の財宝を見つけ出しはしないかと、心配をしていました。

そこで、こともあろうに次の世では“蛇”に生まれ変わって、自分の財宝を守り抜きたいと念じました。

この願いが天に通じたのか、望み通り蛇に生まれ変わったケチン坊は、何年もの間、ツボの周りにとぐろを巻いて過ごしました。

ところがあるとき、蛇はふと思ったのです。「いくらこの財宝を守ったところで、蛇の身じゃ、一文の値打ちもありゃしない。願わくば、もう一度、人間に生まれ変わりたいものだ」

その切なる願いも叶い、ついに蛇は再び人間に生まれ変わったのです。ところが、彼はまたしても、この宝を使うどころか、せっせと貯め始め、二つのツボ一杯の財宝を残して、二回目の人生が終り、こともあろうかまたしても、蛇に生まれ変わってしまったのです。

なんとなんと、さらにこれらを繰り返すこと七回。洞窟の中には、七つものツボが溜まり、そのたびに、蛇も大きく生まれ変わり、ついには、大き過ぎるあまり、さすがに我が身を持て余すようになりました。

「今度こそ人間に生まれ変わったら、全部これを使って楽しみたいものだ。俺はどうして、こう思い切りが悪いのだろう」大蛇がこう悩んでいたある日のことでした。彼のいる洞窟の直ぐそばで、お釈迦さまの法座が開かれたのです。

涼しい木蔭に座ったお釈迦さまが、お弟子たちに語られています。

「皆の者、聞くがよい。そなたたちは今、憩いの場所を得ている。その汗ばんだ肌に、そよ風が心地よく吹き抜けて行く。それは風に実体が無く、留まることが無いからである。もし風が我が身に執着心を起こし、動くことを拒んだとしたら、それは人々を喜ばせることもなく、あたりの空気はよどみ、まさに腐ったものとなるであろう。人もまた、かくの如くである。施しの心無きものは、いたずらに我が身にとらわれ、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちるであろう。人は貪りの心を持ってはならない。

宝と自ら思うものは、宝などではなく、ただ己の煩悩の固まりであると知るべきである。風には一切の妨げも障りも無いではないか。宝とは、まさに今生かされているこの生命を、生きることである」

お釈迦様の尊いお話が、風に乗って、洞窟の中の大蛇の耳にも運ばれて来ました。やがて、みるみると大蛇の大きな体が小さくなっていきました。その時の大蛇(ケチン坊)の気持が、あなたには分かるでしょうか。

(M)

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