交流の広場「微笑苑」 001-010
第五話 女房の『寺庭だより』
女房が〈寺庭だより〉を出しはじめて、早二年になる。
ハガキに、その月々に思ったことを書き、コピーをして、檀家の婦人会員に送っているが、なかなか好評だ。
毎月の掃除や、婦人会の行事にどうすれば出席者が増えるかと考え、思いついたそうだが、目に見えてその効果はあった。
この一年でその数は倍になったのである。
それどころか、出席はできないけれど、ハガキだけは毎月欲しいという波及効果まで現われ、ご本人は大いに満足しているようだった。
しかしその頃になると、今度は書く事に行きづまる。
「ああ、余計な事始めなきゃよかった」そうボヤく女房に「俺が代わってやろうか」と言うと「みんな、私の便りを待っているのよ、あんたの文章を読みたいわけじゃないわ」とつっぱった。
ナルホド、そうかもしれない。
これは 住職の便りではないところがいいのだろう。
貰った方も、宛名が主人ではなく、夫人であるのが嬉しいのかもしれない。
女同士の連帯感が生まれようとしているのなら、こちらの入りこむ余地はなさそうだ。
そう思っていたら、檀家に出かけた時、そこの奥さんから「さすが、お寺の奥さんですね」と言われた。
「私、断然ファンになりました。もう、和尚さんはどうでもいいです。これからはお寺も女の時代、私たちも頑張りますよ」こんな発言が出て来ればシメタものである。
女房のことをほめられたのも嬉しいが、みんなをヤル気にさせているのが、なんとも頼もしい。
住職といっても、寺にじっとしておれないのが、現実の住職。
それならば、寺に尻をどっしりと構え、守っていくのは、むしろ住職の妻の役目だと言った方が正しいのかもしれない。
そんな女房が今年の春出した〈寺庭だより〉には、こんな息子との対話がネタになっていた。
「夕方、息子が学校から帰って来て『お親爺さんは?』と尋ねたので『ちょっと人生相談に出て行ったよ』というと『そんなの俺に聞けば、すぐ答えてやるのに』と言いました。
そこで『あんたなら何て答えるの?』と聞いたら『人生、悩んだって始まらん。生命があるだけ丸もうけ』とすました顔。
思わず、こちらがドキリ。
丸もうけの生命を大切に そんな気持で、お彼岸を迎えましょう」
これを読んだ総代の爺さんから「奥さん、これ、あんたが本当に書いたのか?息子さん、こんな事、本当に言ったのか?」と電話があったりで、大ヒット。
こうなると 「大変だけどやり甲斐もあるわね」と本人もハッスルした。
そして一ヶ月後、私が交通事故に遭うというお寺にとっては大事件が突発した。
以来、お盆も住職不在というピンチが続いた。
私は、今や人生相談の解答者どころか、質問者という気分にまで落ち込んでしまっている。
そんな時、「生命があるだけ丸もうけ」と言うあの母子の対話が、頭に浮かんだ。
ベッドの上では素直になる他、道はないのかもしれない。
- 2022.07.14
- 13:07
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