交流の広場「微笑苑」 001-010

第六話 遠くて一番近い所

交流の広場「微笑苑」 No.006 遠くて一番近い所

檀家に、弁護士がいる。
高校の一級後輩だが、大学に行く時には同輩だった。
その彼が「この間、和尚に教えてもらった言葉で、従弟の嫁を慰めました」と言った。

彼の親爺さんが亡くなってから檀家になったのだが、それ以来、昔馴染みの「ジュンちゃん」でなくて、「和尚」と言う呼び方で接してくれる。

いかにも法律家らしいケジメのつけ方だが、いい加減な私にとっては、時として窮屈にもなる。

そこでこの日も「へぇ、俺が教えたって、どんな言葉?」と、ぞんざいな言い方で、これに対応した。

すると、彼のネクタイを締めたような顔が、バンカラを気取っていた大学の頃の顔に戻った。
彼には高校の時、柔道部でシゴキ事件を起こし、停学処分を食らった前科があるのだ。

余談はさて置き、私のこの言葉に「ほら、親爺が死んだ時、俺に言ってくれたじゃないですか」と、じれったそうに言った。

噛みつかれては大変と、思い出そうとしたが、いつもいろんな人間に、口から出まかせを言っているので、とんと記憶にない。

「一番遠い所は、一番近い所だと言うあの話ですよ」

と言われても、まだ私の脳ミソは何も反応しなかった。

それを察してか「実は医者をしていた従弟が先日亡くなりましてネ」と彼は話を転じた。
「自分で知っていたんですが、ガンでした。すごくいい男だったんです。それだけに嫁の気の落としようといったら、見るも哀れだったんです」

年老いた両親に先立ち、妻子を残して往った一人の男の無念さは、ほぼ同年代である私にとっても痛いほど分かる話である。
「だから亡くなった人は遠い遠い仏さまの世界に旅立ったけど、その世界は一番近い所にあるんだよと言ったんです」
「一番近い所って?」

「いやだな。自分が僕に言ったんじゃないですか。その人の背中だって。宇宙はまっすぐに前を見つめれば、行きつく所は自分の背中になるんだって。

だからご先祖は背後霊として、いつも側にいると教えてくれたのは、和尚、あなたですよ」こう言われて、なんとか思い出した。
彼の親爺さんが亡くなって、彼があまりにも力を落としていたから「死んだ人は、どこにも往きはしない。いつも生きた人間と一緒なんだ」と言って慰めたことがあったっけ。

その言葉を、そんなにまで大切にしてくれていたとは。

そう感激して肯くと「そう信じたいという気持ちが、僕にもあったんでしょうね。
あれから素直に手が合わせられるようになりましたから」とも言った。

その彼が、今度は他人にこの言葉を伝えてくれたのである。

(J)

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