交流の広場「微笑苑」 001-010

第九話 お経の貯金

交流の広場「微笑苑」 No.009 お経の貯金

「布施なき経を読め」という言葉がある。

坊さんがお経を読めば、檀信徒はお布施を出す。
そのお布施で我々坊さんは生 活もし、家族も養っているのだから、お布施はありがたい収入源でもある。
しかしそれを、いわゆる労働に対する報酬とのみ考えるならば、我々は大きな 落とし穴に落ち込んでしまうだろう。

布施は「ほどこし」とも言い、「自分が他に対してできる事をさせてもらう歓び」を意味する、仏教で非常に大切な実践徳目である。

それがいつの間にか、坊さんの「ギャラ」を意味する言葉に堕してしまった。
まことに恥ずべき事だと言えよう。

冒頭に挙げた言葉は、そんな坊さんの反省から生まれて来た言葉ではないだろうか。
私自身、先輩から「お経の貯金をしておかないと、罪障にやられるぞ」と言われた事が何度かある。
罪障とは、自分が犯す罪や、他からこうむる障害の原因を言うのだろうか。
「他人から頼まれて読むお経はあくまで他人のため、自分の徳にはなってないと肝に銘じておけ」

今となってはその言葉が身に沁みるが、当時は頭の上を素通りしていたなぁ。
檀家まわりをして、日に何遍も読んでいるのに、「それ以上お経が読めるか。」そんな気持でいた。
だから師父が朝のお勤めをしていても「親爺がやってくれているから、それでいい」と自分は朝寝をし、ずぼらを決め込んでいた。
それが二十数年続いていたのだから、私の罪障は溜まりに溜まっていたかもしれない。

晴れて師父から、住職の座を譲られた時、さすがに私も「今日からは、朝のお勤めをするぞ」と決意した。
しかし、それは何日続いただろうか。
原稿書きで夜遅くなったと言ってはサボリ、会議で疲れたと言い訳しては、女房に相手をさせて、その場凌ぎをする日々もあった。
その結果とは言いたくない。
しかし、私が交通事故で病院に運ばれたと聞いた時、女房は思ったそうだ。
「住職なのに、朝のお勤めをちゃんとしないからだ」と。

実は私も、入院中、そんなざんげの気持を起こしていたのである。
「そんな事、恥ずかしくて檀家の人には言えんだろう」二人っきりになった時、私たち夫婦は語り合った。
「でも助かったのは、やっぱり仏さまのお陰よね。いくら偉そうな事を書いても、自分が実行できなけりゃ誰もついて来ないのよ」
女房が、「布施なき経」の真意を知るはずはない。
しかし、亭主のだらしない態度に、いつの日か、仏さまの戒めがあるとは予感していたのかもしれない。

布施とは、報酬がなくても自分のする事に歓びを感じる事だと書いた。
檀信徒の財施に対し、坊さんには法施という言葉が用意されている。

法施とは、早い話が、仏の教えを人々に伝えることである。その行いなくしては、我々僧侶は、坊さんの資格を失なってしまうだろう。

まず、朝のお勤めは、ちゃんとしようごく当たり前の事なんだが、今の私には、それしか言えないのである。

(J)

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