交流の広場「微笑苑」 011-020

第十四話 我が子が寺を継ぐ・・・親の本音を言いましょう

交流の広場「微笑苑」 No.014 我が子が寺を継ぐ・・・親の本音を言いましょう

息子に後を継いでもらいたい。これは親たる者の本音である。

しかし、その本音を言えば、猛反撃に遭いそうな今のご時勢。
私も、息子が幼い時は、「おまえが選ぶ仕事なら、俺は何も言わない」と理解のあるような振りをしていた。
いや理解があるつもりでいた。
だから会議に出ても「世襲化こそは、宗門衰退の元凶である」などと吹きまくっていた。

その説を曲げようとは思っていない。
しかし、去年の夏、息子がシブシブながら得度し、頭を丸めてくれた時には、泣きたいほど嬉しかった。
「親爺は、言う事とする事が、ぜんぜん違う」そう批判されようとも、うれしかったのだから仕方ない。
息子が気が変わらないうちにと、この歴史的事実を檀家に吹聴してまわり、法要の席でも公表した。

「よかったですね、これでご安心ですね」と言ってくれる人が多い。
しかし、中には、「お寺の子は可哀想ですね。後を継がなければならないなんて」と息子に同情する人もいないわけではない。

いやあ、最も同情しているのは、わたし自身かもしれない。

息子の年の頃、私は、どんな事があっても坊さんにだけはなりたくないと思っていた。
だから宗立大学の仏教学部の受験料を親からもらうと、願書を出す振りをして、全部パチンコに使ってしまったことがある。

そんな事を、まさか息子には言えるはずもない。

「得度した以上、道は一すじ、迷わず大学は、宗立をめざせ」と自分とは逆の道を押し付けたのである。
そのため、息子が受験勉強をしないことにも目をつむった。
ヘタに勉強に目覚めて、他の大学を受験したいなどと言い出したら、こっちの計画はパァになってしまう。

三年ほど前だったか、知人の坊さんが、「息子が東大にパスしましてね。後を継いでくれないんじゃないかと心配なんです」と、複雑な顔で話したことがある。
優秀な子を持つことも、これまた、親の悩みとなるらしい。
女房なんかは、「そんな悩み、一度でいいからしてみたい」と言うが、瓜の蔓に茄子はならぬ。

かくして、息子はこの春、めでたく宗立大学の仏教学部宗学科に入学が決まった。

こうなれば次の作戦は、学寮に入れることである。
経済的にも助かるが、厳しく僧風教育をしてくれることが何よりありがたい。
その説得には、私ではなく、私より二つ年上の、私の弟子があたった。

「寮に入って、ちゃんとした教育を受けた方がいいぞ。あんたのお父さんは、アゴはいいけど、作法がまるっきしダメだもんな。おいちゃん、弟子として恥ずかしいよ」

聞き捨てならないセリフだが、この際、聞き流しにする方が得策のようだ。
子は、親を踏み台にして成長するという。
たとえ踏み台でもいい。
それで一人前になってくれるなら、世襲化も悪くないと言える日が来るのではないだろうかと、ただただ期待する私なのである。

(N・N)

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