交流の広場「微笑苑」 011-020
第十九話 学習塾へ物申す
息子が小学生の頃だった。
全国チェーンの算数教室の本部から偉い講師の先生が来て話をするので、父兄に出席してほしいといわれた。
父兄会といっても、昔から子供のことは母親が行くものと思っていたから関心がなかったのに、なぜか父親の私に話を聞いてほしいとの連絡である。
仕方なく会場のホテルに出かけたが、案の上、場内は女性でいっぱい、男は麦飯の麦程度の人数である。
だからだろうか、わざわざ前の方の席に案内された。
大阪から来たという講師が、得意満面に話を始めた。
教育関係者というよりは、会社の営業課長という感じの男である。
彼は、早期教育がどれほど大切であるか、そしてその会社(失礼)いや教室が、いかにそのために貢献しているかと話し続ける。
算数のみならず、国語、英語と、彼の話によれば、指導に従っていけば、必ず親の願いは叶うという。
うちの息子を見るかぎりガマの油売りより信じられない話だ。
そう思いながらじっと時間の経つのを我慢していたら、彼は「みなさん、これからの時代は、学校を当てにしてはいけません。
頼りにすべきは、私たちの教室です」といって「寺小屋」という字を黒板に書き、「この寺小屋式の教室こそ子供たちの実力を養成するのです」とトーンを上げた。
母親たちは蛇にみこまれた蛙のごとく、シーンとして話を聞いている。
早く帰りたいと思った。
でも前の方の席では立つというわけにもいかないでは ないか。
「何かご質問は?」という司会役の女性、彼女が息子の担任なのだが、私をノミネートした。
こうなったら、うさ晴らしである。
「失礼ですが、あなたがお書きになった寺小屋という字は、寺子屋の間違いです」そう先制パンチを喰らわせた。
そして「学校を当てにするなというような発言は不愉快です」と抗議した。
「世の母親たちはそれでなくても学校不信に陥っています。親が学校を信頼せず、塾に頼りきりになるのが、正常な教育の姿と思いますか。」
私自身九ヶ年、学習塾をやった経験があるから、講師の言い分が分からないわけではない。
しかし父親としての立場は、また違うのだ。
「塾はあくまでもヤミの学校、その認識をもって指導してもらいたい」
当然のこと、その場はシラケた。
ただありがたいことに、私の他にも同種の発言をしてくれた父親がいた。
それにしても、我が子のこととなると集まってくるこの母親たちのエネルギーはすごい。
鬼子母神顔負けである。
ひょっとしたら、学習塾というのは、現代社会が生み出した別種の新興宗教といえるかもしれない。
このエネルギーを吸収出来たら、お寺の社会的復権も夢ではないのに。
帰り道の私は一人、そんなことを考えたのである。
- 2022.07.14
- 13:11
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