「癌(がん)になってよかった」、そんな事を思う人はいないでしょう。
ところが「癌になってよかった」と本心から思い、『癌になってよかった、いのち輝け』という本を、出版した人がいます。
いえ、いたといった方が正解でしょう。
その人の名は、黒田英之さん。
北九州の、お寺の住職です。
平成四年九月、〈全日本仏教徒・九州大会〉が、北九州市で開かれることになり、黒田住職は、その責任者として活躍されました。
しかし、その直後、直腸癌であることが分かったのです。
そしてその翌年には肝臓癌、さらに平成六年には癌が肺に転移していることが告げられました。
「先生、私はあと何年生きられるでしょうか」と、尋ねた黒田住職。
「強いて申し上げるなら二年半です」そう答える医師に「よかった。明日死ぬ、明後日死ぬでは、死の準備ができません。二年半あれば充分です」
黒田住職は、こう話して、自分に残された短い人生を精いっぱい生きようと決心しました。
「癌になって、よかった」と言ったら、「居直りですか」と聞く人がいます。
しかし、私のこの言葉は決して「居直り」でもなんでもないのです。
癌になると死が目の前にある………死に直面すると、人は生きることを大切にすると語る黒田住職。
「一日一日を大切にして生きると、その毎日に張りが出てくる。だから人から『最近明るくなりましたね』と言われる。『ええ、癌になって明るくなりました』と答える私。『ウソだと思うなら貴方も癌になってごらんなさい、ハッハハ……』そんな冗談がいえるようになりました」とこの本には書かれています。
そんな黒田住職の、一日一日の思いがまとめられて本になったのは平成七年の四月十日です。
友達や檀家の人達が、黒田住職を励まそうと、二十四日に「出版祝賀会」を開くことになり、五百人もの人が集まりました。
その席で、皆に「ありがとう、ありがとう」と、お礼をいった黒田住職は、車椅子に乗ったまま壇上に上がって、こんな挨拶をしました。
「私は、もうそんなに長くは生きられないでしょう。お別れをしなければならない時が来ると思います。
このお説教ともいえるご挨拶の言葉にみんなは大きな拍手を送りました。
そしてその一週間後の五月一日、数え年七十歳で黒田住職は、仏さまの下へと旅立っていったのです。