交流の広場 微笑苑 第十話「心の宝珠」
今回の微笑苑のテーマは「如意宝珠と祈りの糧」です。
- 物だけでも信仰だけでも生きられぬ人間の現実への問い。
- 坂村真民が飢えの中で詠んだ祈りの詩。
- 如意宝珠を一握りの糧と重ね、苦しみを力に変える信仰観。
「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉があります。しかし、現実の苦しみの中では、まず一握りのご飯を求めたくなるのもまた人間です。仏教詩人・坂村真民の祈りの詩から、信仰と生きる糧の関係を見つめます。
第十話「心の宝珠」
聖書に「人はパンのみにて生きるにあらず」という名言があります。これは、人間は、物質的な欲望のみで生きてはならない。魂の目覚めがなければ、本当の人生とはいえないという教えです。
ところが、どんなに教えが有りがたくても、そればっか りでは、ちっとも腹の足しにはならないと反論する人もいます。たしかにその通りで、生きている悩みは、心と物の両方から起こってきます。そんな時、私は観音さまが手に持たれている〈如意宝珠〉のことを思い浮かべます。
如意宝珠とは、願いごとが、そのままに叶えられる宝の珠という意味です。そんな珠が実際にあったら、どんなに素晴らしいだろうなと思います。でも、もしそれ を手に入れたら、信仰心はなくなるのではないかとも考えるのです。坂村真民さんの〈ねがい〉という詩をご紹介しましょう。
救世観音さま
あなたが両手で
しっかとお持ちになっておられるのは
なんでしょうか
美しい珠でしょうか
それとも
おいしい握り御飯でしょうか
いまのわたしには
何かそんな食べるものの方が
強く思われて
朝夕あなたのお姿を拝んでおります
世観音さま
わたしが亡くなりましたあとも
この三人の子供たちに
あなたの温かい
おん手のおにぎりを
恵み与えて下さい
どんな生き死にの
苦しい目にあっても
母と子が飢えずにゆく
一握りの
貴い糧を
分かち与えて下さい
真民さんがこの詩を詠んだのは、戦後まもない頃、頼るべき人もいない四国の片田舎で職を求めていた時だそうです。仏教詩人として名高い真民さんでさえ飢えの苦しみの中からは、一握りの御飯を求めました。観音さまの如意宝珠が温かいおにぎりに見えたのです。
誰が、それを責めることができましょう。いえ仏教詩人なればこそ、こんなにも素直に、自分の苦しみを訴えることができたともいえます。「私が死んでも残された妻と子に一握りの貴い糧をお与え下さい」と手を合わせる祈りの中に無限のやさしさを感じます。同じ頃、発表した詩の中に
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
という言 葉があります。真民さんは、苦しみの中から如意宝珠を磨きだした人だと思うのです。
対談のお相手(M)
◎交流の広場『微笑苑』は寺の友社の社長が住職にインタビューをした小話集です



