住職エッセイ集 蓮の実通信 No.025「子恩観音」

住職エッセイ集 蓮の実通信 No.025「子恩観音」

今回の蓮の実通信のテーマは「身近な菩薩に学ぶ感謝」です。

  • 地蔵や観音は仏ではなく菩薩であり親しみやすい存在。
  • 姿を変えて人々を導く教えが信仰の広がりを生む。
  • 子恩観音の例から親子の関係における感謝の心を見出す。

道ばたで出会うお地蔵さまや観音さまは、私たちにとってとても身近な存在です。実はこれらは仏さまではなく、悟りを目指して修行する菩薩さまですが、その親しみやすさこそが人々の心を支えています。ある観音さまとの出会いから、感謝の意味を考えてみましょう。

「子恩観音」

道ばたで、ふと出会う仏さま。その中で一番多いのがお地蔵さま、その次に目につくのが観音さまだと思います。どちらも、宗派を越えて、人々に親しまれている仏さまですね。

ところで、私は今、仏さまと申しましたが、お地蔵さまも、観音さまも、実は仏さまではありません。正確に言えば、いずれも菩薩さま、いわば、仏さまのアシスタント的存在です。でも、だからといって、軽くとらえてはいけません。むしろ、 仏さまになろうとして修行している立派な方たちなのです。しかし、立派だと言ってしまうと、菩薩さまは、私たち凡夫(ぼんぷ)からは、遠い存在になってしまいます。なんといっても、この二つの菩薩さまの魅力は、とびきりの親しみやすさ。私たちが気軽にお願いをしたり、手を合わせることができる所に、人気の秘密があると思います。

お経によりますと、この二つの菩薩さまは、いろんな者に姿を変え、私たちに語りかけ、救いの手を差しのべてくださると言います。そのためでしょうか、人々は、自分たちが形造ったお地蔵さまや観音さまにさえ、いろんなお名前をつけて、お詣りをしています。つい先日のことでした。たまたま手にした本の中に、『子恩観音』というお名前の観音さまのお姿を見つけました。

子恩とは、「子供の恩」という意味、「親の恩」なら分かるけど、子供の恩なんて、おかしいなと思って、よく見ると、その観音さまの横には、こんな立札があったのです。「私がわたしになるために、わたしに与えられた子供たち。この子供たちに肩身のせまい思いをさせたくないと、ふるい立つ心を与えてくれたのは子供たち。今、合掌をして、ありがとうと拝む。私が本当のわたしになるために、観音さまが私の子供となって、私の前に現われてくださったのだと」

この立札を読んで、私は「こんな観音さまもいらっしゃるのだな」と感激しました。そのお顔を見れば、どこにでもいるような無邪気な子供の顔。それを彫ったのが、名もない二人の乙女たちと知った時、この乙女たちの願いが心に伝わって来たのです。「親が子供に感謝されたいと思うなら、まず親は親であることに感謝しなければならない。親であることの喜びを感じたら、子供もまた子供であることの喜びを感じてくれるだろう。」観音さまが、私たちにそう語りかけているような気がしました。

そういえば、お地蔵さまにも、よだれ掛けに似た赤い布が掛けられています。あれも、人々のそんな願いが托されているのかもしれませんね。

著者(J・N)