住職エッセイ集 蓮の実通信 No.021「説教はライブで」

住職エッセイ集 蓮の実通信 No.021「説教はライブで」

今回の蓮の実通信のテーマは「待つ心と生の価値」です。

  • 一年中手に入る時代が「待つ心」と感動を薄れさせている。
  • 便利さは手軽さと引き換えに体験の価値を損なう面もある。
  • 生の体験や手作りの温もりが心の豊かさを取り戻す鍵となる。

いつでも何でも手に入る便利な時代になりました。しかし、その一方で、待つ楽しみや出会いの感動が薄れてはいないでしょうか。ある出来事を通して、「生」で味わうことの大切さや、自然とともに生きる心の豊かさについて考えてみましょう。

「説教はライブで」

スイカといえば、夏の果物でした。ところが近頃では五 月頃から出回っています。いえ、真冬でも、果物屋さんの店頭に並んでいます。子供の頃は井戸で冷したスイカを、セミの鳴き声を聞きながら、かぶりついたことを思い出しながら、「世の中、変わりましたね」と話しました。もちろん、今でも夏にスイカを食べない訳ではありません。でも、スイカに対する感激が、昔と全然ちがうのです。

いつでも有るということは、私たちから「待つ」という心を失わせてしまいました。待つということは、つらいことです。しかし、一面では楽しみでもあるということも知らねばなりません。「待つ」という心の働きによって、私たちの胸には、夢と希望がふくらむのです。そして、待った後に出会ったという感激が、私たちの人生を豊かにさえするのです。

先日、お説教に出かけたお寺さんで、一人のお爺さんが、私の話を録音していました。「近頃は、こんな便利なものができたから、ありがたいですね」そういうお爺さんは「このお話を、家に帰って家族に聞かせます」と言いました。熱心な人だなと感心していると「でも、こんな道具ができたおかげで、一緒にお寺に行こうと誘っても、後でテープを聞くから、わざわざお寺に行かなくてもいいと断られた」と、ぼやきました。「テープなら、自分の家で寝ころんでも聞けるし、足もしびれませんからね」この話を聞きながら、便利というのは、そんなマイナスの面もあるのかと思ったのです。

ところが、その時、横にいた青年が「お説教は、やっぱりライブでなくちゃあ」と言ったのです。お爺さんがびっくりして「ライブってなんですか」と尋ねました。「生(ナマ)演奏のことをライブって言うんだよ。いくらいい機械でも、機械は機械、心までは伝わってこないからね。これからはなんといっても生(ナマ)の時代だよ。ビールも生(ナマ)だし、お金も現生(ナマ)が最高だからね」と笑わせます。これを聞いた私は、いいことを言うなと思いました。これからは、手作りこそ求められる時代だと思うからです。

一年中出回っている野菜や果物に飽いているのは、そこには新鮮さという実感がないからでしょう。自然と共に生きる気持ちがなければ、私たちは 生き生きとした心まで失ってしまうような そんな気がしてなりません。

著者(T)