交流の広場「微笑苑」 021-030

第二十一話 足の裏

交流の広場「微笑苑」 No.021 足の裏

あなたは、足の裏に感謝したことがありますか。 ちっとも目立たないけど、一番大切な役割を果してくれている足の裏。 ながめれば、ながめるほど、私は足の裏に宗教的な意味を感じるのです。

私の女房の足の裏は、結婚する前は、自慢していいほどツルツルだったそうです。
それがお寺にお嫁に来てから、ガサガサになってしまいました。
靴下は、履けば三日と持たないし、脱げば足の裏はまっ黒になってしまいます。
「こんなことなら、あんたと結婚するんじゃなかった」と彼女はボヤきます。

実際、お寺の中で生活するのは、一日中、運動場を走り回っているようなもの。
そんな時私は、「だから結婚前は『女中がわりに来るようなもんだ』と言ったじゃないか」と言い返すのです。
「お寺は姑千匹、口のうるさい、じいさんやばあさんが大勢来るところ、俺の嫁さんになったのが運のツキと諦めろ」と大見栄を切るものの、心の中では「ありがとう」と感謝しております。
そんな時、私はふと仏教詩人・坂村真民さんの『尊いのは足の裏である』という詩を思い出すのです。

1
尊いのは
頭でなくて
手でなくて
足の裏である

一生人に知られず 一生きたない処と接し
黙々として その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ

2
頭から 光がでる まだまだだめ
額から 光が出る まだまだいかん

足の裏から 光が出る
そのような方こそ 本当に偉い人である

真民さんはこう教えてくれているのです。

仏教の教えの中に「給仕第一」という言葉があります。
何よりも、まず他人に仕えることを旨とせよという意味です。
今流に言えば、奉仕の精神ということになりましょうか。
ボランティア活動とかホームヘルパーとか、私たちのまわりには、地道な仕事をコツコツとしている人がたくさんいます。

そんな人に出会うと、『働く』という本当の意味は、自分のことよりはたの人を楽にさせてやることなんだなとつくづく思います。

(J・N)

第二十二話 母の思い出 ~母の告別式の朝、記す~

交流の広場「微笑苑」 No.022 母の思い出 ~母の告別式の朝、記す~

父が早く亡くなって、母は務めに出るようになった。
当時、日本では、まだ余り、母親が務めに出ることはなかった。
だから母は、恥ずかしい思いをしながら、務めに出たと思う。
僕は、小さかったので、母が何の仕事をしているか、知らなかった。

それが、確か、中学1年の時、大人用の自転車を買ってもらって、京都市内一周を近所の友達5人程でしたりするように成った時の事だった。
その自転車は、勿論、中古だったけれど、僕は、それを大切にして、よく油で磨いては、乗っていた。
近所の一番親しい友人に、小学校まで同級だったS君がいた。

ある日、僕はS君を誘って、母の勤務先へ遊びに行くことにした。
土曜日だった。
前の日、母に言っておいて、2人で出かけた。
京都中央電報電話局である。
母が、守衛さんに言ってくれていたので、守衛さんは、すぐ、母に伝えてくれた。
母に案内されて、僕達は、母の働いている部屋へ入った。
自動の電話交換の大きな機械が、カシャカシャと音を立てていた。
僕達の初めて見る部屋だった。

母は、紺色の作業服を着て、ズボンを履いていた。
母の側に、水の入ったバケツがあって、雑巾が一つ掛けてあった。
母は、「交換機には、ホコリが一番困んのや。そやから。私は、ここで毎日、配線の上に付くホコリを拭いたり、掃除したりしてんのや」と、少し恥ずかしそうに、2人に説明してくれた。
僕は、少し、顔が赤く成った。

「Uさんの子か?」
男の人が聞いた。
「はい。中学1年です。・・・今日はいっぺん遊びに来たいと言いまして・・・」
母は、自分より歳のずっと若いその男の人に答えていた。
「ようできんにゃろ?」
「いいえ、そんなことはありません。」
母は答えた。
それから、2人を、食堂へ連れて行ってくれた。
社員食堂で、僕達は、うどんを食べさせてもらった。
そのあと、どのようにして帰ったのか、僕は覚えていない。

S君も、それから後も、この事は、何も言わなかった。
今、思い出してみると、この頃からだろうか、僕は勉強をするようになった。

(N・U)

第二十三話 M O T T A I N A I(もったいない)

交流の広場「微笑苑」 No.023 M O T T A I N A I(もったいない)

もったいない(MOTTAINAI)。
そんな日本語が、世界共通語として広まりました。
これは、2005年2月に毎日新聞社の招きで日本を訪れていた、元ケニア環境副大臣ワンガリ・マータイさん(故人)が、この言葉を知って使い始めたことから始まっています。

マータイ氏は、環境を守っていくことが土地を豊かにし、人々を貧困から解放し、それが平和につながるとして、とにかく自分のできることから行動することが大きな環境問題に取り組むことになると、植林活動推進に尽力し、昨年ノーベル平和賞も受賞しています。

資源の有効利用を、ゴミを減らす(リデュース)、資源を有効に使う(リユース)、再利用(リサイクル)の考えとして提唱しており、それらに日本語の『もったいない』がぴったりということから、『MOTTAINAIキャンペーン』を展開しています。

『もったいない』という言葉には、単純に使うことを惜しむだけではなく、粗末に扱ったり有効に使われないことを惜しむという意味があります。

エネルギーを無駄使いしないこと、限りある資源を有効に使うのはもちろんのこと、無駄なく使い切ることは『もったいない』の精神に通じています。

その言葉に込められた意味を大切にし、地球上にいる全ての生き物の源となる、地球の健康管理をしていかなければ、全ての生き物が風邪を引いてしまうとい うことになってしまうのではないでしょうか。

世界中がMOTTAINAIで溢れれば、世界は救われるかもしれません。

ページトップへ