蓮の実通信

No.018 「卒業式のその時に」

 今年も、卒業式のシーズンが到来しました。
 私が、ふと思い出したことがあります。
 あれは、昨年の春、我家の長男が小学校を卒業した時のことです。お天気は、子供たちを祝福するかのように晴れ、私の心にも青空が広がっています。「よく頑張ったね」そう誉めてやりたくて、卒業式に出席しました。校長先生が、子供たち一人ひとりに卒業証書を手渡してくださいます。うちの息子の番になり、親の私の方が緊張しました。名前を呼ばれ、「ハイ」と返事して壇上に進む姿を見て、胸 がジーンと熱くなりました。卒業証書をもらった息子が、担任の先生にそれを渡すと、先生は、青いリボンのついた証書入れに入れて、ピンクのカーネーションと一緒に、息子に持たせました。その二つを大事そうにかかえて、席に戻る息子に、私は手を振りました。「よかったね。お父さんも嬉しいよ」という気持ちを伝えたかったのです。

 卒業式が終わると、私は急いでお寺に帰りました。午後からお葬式があるからです。亡くなった人は、三十八歳の女性、その道すがら「大変だなあ、きっと子供も小さいだろうな」と思ったのです。
 そして法衣に着がえ、祭壇の前に進んだ時、私はハッとしたのです。なんと柩の上には、あの青いリボンの卒業証書入れと、ピンクのカーネーションが置かれているではありませんか。
 「ああ、この家の子も、今日が卒業式だったのか。どん なにかお母さんに、今日の晴れ姿を見てもらいたかっただろうに」そう思うと、悲しみが胸をつき上げて来ました。それだけに、亡き人の後ろ髪を引かれるような無念さも、お棺の中から伝わってきたのです。

 お釈迦さまのお弟子の一人にも、そんな悲しい思いをした人がいました。不治の病に患り、明日をも知れない命でした。「一目でいい、一目でいいからお釈迦さまにお会いし、その思い出を持って死にたい」そう願う彼の病床を見舞われたお釈迦さまは、彼にいたわりの言葉をかけた後、こう 言われたそうです。
 「そなたが、私を慕う気持は尊い。しかし、私の年老いた体を思い出とするより、私の教えを思い出とするが良い。教えを信じる限り、私は常に、そなたと共にある」お経をあげていた私は、この話を思い出しました。
 いつまでも子供のそばに居てやりたいと願っただろう亡き人に「心安らかに仏さまの教えを信じることですよ」と言いたかったからです。

 「あなたが、仏さまの世界から見守ってあげれば、お子さんも、きっとこの悲しみを乗り越える日がくるでしょう」私はそう祈って、柩を送り出したのでした。  (T)

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