交流の広場「微笑苑」

No.013 <法事のお勧めは中華料理>

 法事の席の料理と言えば、どこも似たり寄ったり。施主には申し訳ないが、どんな料理も、さほど食欲はそそらない。
 そんな事を思っていたら「和尚さん、来月のうちの三回忌、料理はどんなものにしたらいいでしょう」との相談を受けた。こんな相談は、実に稀である。稀だからこそ、逃す手はない。
 「去年の一周忌は会席膳だったよね。それなら、いっその事、中華にしたら」
 相手は、びっくりしたような顔をした。亡くなったお婆ちゃんが、やかましい人だっただけに、それではお客に失礼になるのではという不安が走ったようだった。「一人ひとりのお膳じゃなくていいんですか」
 当然の事ながら、そんな質問が返ってきた。「何人おまいりに来るか分からんのだろう」、うなづく相手に、「それなら中華の方が融通がつくよ。取り皿と箸を増やすだけでいいんだから」と自分の考えをゴリ押しした。
 それだけに法事の当日、この作戦が吉と出るか否か、施主以上に私の方が 気を揉んでしまった。中華は、和食と違い、あたたかくなければ、その魅力は半減してしまう。紹介した店が、時間通りに届けてくれればいいがと気が気でならなかった。だから日頃なら、平気で遅刻する私も、この日ばかりは、時間励行した。
 無事に供養も終わり、料理も、ほどよく着いた。後は配膳を待つばかりと思ったら、なんと取り皿と箸を忘れて来たと言うではないか。
 それからがテンヤワンヤ。家中の皿と箸を持ち出す破目になったから、作戦参謀としては立場がない。それでも一応の用意ができたところで、施主の方から、「なにもお口に合う物はありませんが」と紋切り型の挨拶がなされた。
 日本人は、どうして、いつもこうへり下って心にもないことを言うのだろう。それに、本当に口に合わなければ、こちらの面目も丸つぶれになる。
 そこで、いちばん上座に座らされた私は、一言ご挨拶申し上げることにした。
 「本日のメニューは、不肖私の提案でございます。法事の席に、こんな料理をとお思いの方もあるやもしれませんが、供養の後は、美味しい物を食うようにとのアイデアです。それでは頂きましょう。乾杯 」と言いかけて、この「乾杯」という言葉を訂正した。
 「先日、いい話を聞きました。こんな席では、乾杯という言葉は、感情的にどうもピッタリしないと言うのです。それでは、どう言えばいいのか。その人が提言しました。なくなった故人に〈 献盃 〉というのはどうだろうかと。私たちもこれに習って、献盃とまいりたいと思います。献盃 」 どうやらこれで、坊さんとしての面目も立った。同時に、席も立った。なんと言っても日曜は忙しい。次の家の法事が待っていたからだ。
 だから、「和尚さんのアイデア勝ちでしたね」そんなお礼の電話をもらったのは、翌日のことだったのである。
(N・N)

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