蓮の実通信

No.011 「空(から)のお布施袋」

 檀家の奥さんから、こんな相談を受けました。お祝い事で、お隣りから御祝儀をいただいたそうです。ありがたくいただいて、夜、その袋を開けてみると、なんと空っぽなのです。包み紙には、金額が書いてあります。しかし中身は空っぽです。もちろん悪意であろうはずがありません。
 さあ奥さん困りました。「お祝いのお返しをどうしようかしら」あれこれ思案しているうちに腹も立ってきました。「だって何も貰っていないのに、お返しなんて。でもお返ししなければ変だし、空っぽでしたと言いに行けば、気まずくなるかも」それでとうとう私に相談したということです。こんな相談には私も困ってしまいます。

 私にも似たような経験があります。ある檀家さんのお葬式に行った時のことです。翌日の初七日の時にお葬式のお布施を手を合わせていただきました。さてその日の夜、お布施の袋を開けるとなんと空っぽ。坊さんとて人の子です。あるはずのお布施の中味が空っぽでは、正直に言えばガックリきました。でも坊さんの立場として、お布施の中味が空っぽでしたからと催促しにくいものです。「まあいいや、このお家には、遠いからという理由で、お盆にもお伺いした事はないし…仕方ないか」と気楽に考えていました。そのすぐ後、電話がありました。「あのもう一つお布施の袋が出てきたんです、開けてみるとお金が入っています。ひょっとすると、御住職さんに差し上げたお布施の中は、空っぽだったのでは」と恐縮し切った声で檀家さんが話します。私は、正直いってホッとしました。

 お釈迦さまの十大弟子の一人に須菩提さまという方がいます。この須菩提さまにマガタ国の王さまが供養として小屋を寄進しました。ところが、その小屋には屋根がありません。屋根を葺くことを忘れていたのです。屋根のない家なんて、私たちから見ると貰わぬ方がましです。しかし、須菩提さまは、その小屋をありがたく頂戴し、住み込んだのです。天もその間は遠慮して雨を降らせなかったそうです。 そのため、マガタ国は旱魃(かんばつ)に苦しみ、原因を調べた王さまは、あわてて須菩提さまの小屋の屋根を葺いたそうです。

 「たとえ空の袋でも、いただかなくてはならない時には、ありがたくこれを受けましょう、あとは何とかなるものです」と奥さんにこの時こう答えました。後日、空っぽのご祝儀に気付いたお隣りさんは、改めてお祝いを持ってこられたそうです。人生、後で笑い話になることが多いものですね。 (M・N)

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