伝道シリーズ第1弾

No.005 心の蔵

 心は不思議な生き物です。姿もなければ、形もありません。まさに「意(こころ)は微にして見がたし」(法句経)というべき存在です。
 ところが、見えなくても、私たちの在るところ、どこにでも付いてまわるのが、この心。「欲に随いて行く」と経文にあるがごとく、いろんなトラブルを引き起こします。
 だからでしょうか、人は時として「無心になれ」といいます。でも、それは、「心を失え」ということではありません。欲を離れて、心の在るべき姿を見つめてみよということです。
 仏教では、心の奥にある世界を“アーラヤ識”といいます。アーラヤとは、「蔵」という意味のインドの言葉。その心の蔵に光をあてられたのが、お釈迦さまです。
 だから、迷いのままの心の状態を「無明の世界」といいます。光に照らし出された蔵の中には、いったい何があったのでしょう。我楽多(がらくた)もいっぱいありました。でも素晴らしいものがあったのです。それは、他を生かす歓び。
 お釈迦さまはこれを“仏性”と名づけられました。そして誰にでも、それは備わっていると説かれたのです。
 あなたも一度、心の蔵を覗(のぞ)いて見てはいかがでしょうか。 (寺の友社 教宣編集室 謹製)

ページトップへ