交流の広場「微笑苑」

No.005 〈女房の『寺庭だより』〉

 女房が〈寺庭だより〉を出しはじめて、早二年になる。
 ハガキに、その月々に思ったことを書き、コピーをして、檀家の婦人会員に送っているが、なかなか好評だ。
 毎月の掃除や、婦人会の行事にどうすれば出席者が増えるかと考え、思いついたそうだが、目に見えてその効果はあった。この一年でその数は倍になったのである。それどころか、出席はできないけれど、ハガキだけは毎月欲しいという波及効果まで現われ、ご本人は大いに満足しているようだった。
 しかしその頃になると、今度は書く事に行きづまる。
 「ああ、余計な事始めなきゃよかった」そうボヤく女房に「俺が代わってやろうか」 と言うと「みんな、私の便りを待っているのよ、あんたの文章を読みたいわけじゃな いわ」とつっぱった。ナルホド、そうかもしれない。これは 住職の便り ではないとこ ろがいいのだろう。
 貰った方も、宛名が主人ではなく、夫人であるのが嬉しいのかもしれない。女同士の連帯感が生まれようとしているのなら、こちらの入りこむ余地はなさそうだ。
 そう思っていたら、檀家に出かけた時、そこの奥さんから「さすが、お寺の奥さんですね」と言われた。「私、断然ファンになりました。もう、和尚さんはどうでもいい です。これからはお寺も女の時代、私たちも頑張りますよ」こんな発言が出て来れ ばシメタものである。女房のことをほめられたのも嬉しいが、みんなをヤル気にさせているのが、なんとも頼もしい。
 住職といっても、寺にじっとしておれないのが、現実の住職。それならば、寺に尻をどっしりと構え、守っていくのは、むしろ住職の妻の役目だと言った方が正しいのかもしれない。
 そんな女房が今年の春出した〈寺庭だより〉には、こんな息子との対話がネタに なっていた。

 「夕方、息子が学校から帰って来て『お親爺さんは?』と尋ねたので『ちょっと人生相談に出て行ったよ』というと『そんなの俺に聞けば、すぐ答えてやるのに』と言いました。そこで『あんたなら何て答えるの?』と聞いたら『人生、悩んだって始まらん。生命があるだけ丸もうけ』とすました顔。思わず、こちらがドキリ。丸もうけの生命を大切に そんな気持で、お彼岸を迎えましょう」
 これを読んだ総代の爺さんから「奥さん、これ、あんたが本当に書いたのか?息 子さん、こんな事、本当に言ったのか?」と電話があったりで、大ヒット。こうなると 「大変だけどやり甲斐もあるわね」と本人もハッスルした。
 そして一ヶ月後、私が交通事故に遭うというお寺にとっては大事件が突発した。以来、お盆も住職不在というピンチが続いた。
 私は、今や人生相談の解答者どころか、質問者という気分にまで落ち込んでしまっている。
 そんな時、「生命があるだけ丸もうけ」と言うあの母子の対話が、頭に浮かんだ。ベッドの上では素直になる他、道はないのかもしれない。 (J)

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