蓮の実通信

No.005 「ドクター住職」

 毎日新聞のキャンペーン「宗教は心を満たすか」という記事に、田中雅博さんという、ちょっと変り種のお坊さんの話が紹介されていました。 “変り種” というのは、彼がもとお医者さんであり、今も宗教と医学の接点を求めて、がんばっているお坊さんだからです。
 大学を卒業した田中さんは、国立ガンセンターに勤務し、十三年の間、患者の治療に当りました。ガンといえば現代では一番恐れられている病気、死ぬ人の数は決して少なくはありません。そんな環境の中で「医者として治療以外の ことは何もしてやれない自分自身に無性に腹が立った」と田中さんは語ります。

 「たしかに患者の中にはベットの中でお経をあげ、静かに死を迎えようとする人もいました。でも、それは例外的な存在です。たいていの人は『死ぬのはいやだ、死ぬのは恐い』と白衣にしがみつき『治せないヤブ医者なんて必要ない。別の医者を呼んでくれ』となじられることもしばしばでした。私は、そんな苦しむ人々の支えになってあげられないジレンマにずっと悩み続けたのです」
 こう語る田中さんは、実をいうともともとはお寺の息子なのです。ところがお父さんが「お前は医者になれ」と勧めたといいます。医者と坊さんといえば、世間の常識では全く反対の仕事。簡単にいえば、死ぬまでは医者に頼り、死んでからが坊さんの出番というのが一般的な認識です。だけど、そんな割り切り方が田中さんにはできなかったのでしょう。「手を尽くした患者さんが死んだ日は、うなだれて家に帰り、黙ってビールを飲んでいました。患者さんへの思いは勿論、その家族の気持ちを考えると、やりきれなかったようです」と奥さんが当時の田中さんのことを話しています。

そんな折、田中さんのお父さんが突然亡くなり、彼はこのまま医者を続けるべきか、それともお寺を継ぐべきかという選択を迫られたのです。その時、彼は今までの地位は全て捨てて、生と死という問題を一から学び直してみようと決心し、お坊さんの大学に再入学をしたのです。

 「今になって、なぜ父が私に医学を学ばせたかったのか、わかりかけてきました。それは、生きた仏の教えを説くためには、老・病・死に苦しむ現実の人の姿を 知れと言いたかったのでしょう」そう語る田中さんは、今、 “ドクター住職”として、地元の人々の悩みに答える、現代に生きるお寺づくりに励んでいる一人だと言えるでしょう。 (W)

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