交流の広場「微笑苑」

No.001 〈商いの心得〉

江戸時代の商人がいかにあるべきかを説いた本に西川如見という人が書い た「町人嚢(ぶくろ)」という名著があります。
 江戸時代は、士農工商という身分制度があり、商人は、低い身分に置かれて いました。当時は、武士が世の中を支配していた時代ですから、武士は商人が力 を持つことを最も恐れていたのでしょう。だから「商い」とは、つまらぬ仕事だ、 悪どいやつのすることだと世論を意識的に操作していました。
 そんな風潮の中から作り出されてきたのが「商人と屏風は曲らねば立たぬ」 という言葉です。たしかに屏風は曲がらなければ立ちません。しかし、商いを生 業として生きる人々を揶喩するように使われたのではたまりませんね。そこで 如見はその著書で、こんな風に反論しています。
 ある日、古い屏風の精が、一人の商人の夢の中にあらわれました。そしてこうい うのです。「常日頃、わしは人間から曲ったものだといわれるのが、口惜しくてた まらない。わしは曲っているのではない。考えてみろ、屏風が開きぱなしになった ら、立ってはいられない。閉じてしまっても倒れてしまう。開き過ぎもせず、閉じ 過ぎもせず、その中ぐらいにあるというのは、仏の教えでいう中道をわしが心得 ているからだ。お前は、屏風に喩えられて落ちこんでいるようだが、これはむし ろ商人の徳分と思って誇りにした方がよい。それより大切なのは、商いをする 時、曲った場所に気をつけることだ。どんなに立派な屏風でもデコボコした所 では、立つことはできない。左様に心得て商いに励め」屏風の精を使って商人の プライドと有るべき様を説く如見はまた、「商いとは、耐え忍ぶことであり、信 用であり、飽きないで努力することである」とも説いています。そして謙虚さこ そ商人の守るべき道であると言うのです。
 だからでしょうか。今でも福の神として人気の高い大黒さまについて、こんな ことが言われています。「大黒さんが、色の黒いのは、着飾ることに心を奪われ るなという戒、丈の低いのは、身を低くしろということ、袋をかついでいるのは、 他人の身を養うため、打出の小槌は、道具を手放すなという教え、米俵の上に 立つのは、生命をつなぐ米こそ第一の宝ということである。
 昔から、橋の板で作った大黒さんが霊験あらたかと言われているが、それは 橋が広く万民を渡し、人から踏まれても文句をいわない徳分を持っているか らだ」と、ここまで説けば、商いの道も立派な仏道修行だと言えるのではないで しょうか。それこそ釈迦の説法だったかわかりません。 (N・N)

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