伝道シリーズ第1弾

No.23 雲の上は、いつも青空

 雲水と言えば、行方を定めず行脚する修行僧のこと。
これは「行雲流水」という言葉に由来します。  人は、空を行く雲と流れる水のように、自然に身を任せた生き方に僧のあるべき姿を求めたのでしょうか。こんな時、ふと目に浮かぶのは、青空にポッカリ浮かぶ白い雲ですよね。
 でも、仏教には〈雲心〉という言葉もあるんです。これは逆に、雨雲に覆われたような鬱陶しい、心の晴れない状態です。思わず、「来年の今月今夜、再来年の今月今日のこの日を僕の涙で曇らしてみせる」といった『金色夜叉』の貫一の恨み節を思い出しました。
 こんな雲は、迷い雲。それを見事に払いのけたのは維新の先駆者、吉田松陰でしょう。彼は、「事態が悪化し、豪雨の前の空のように陰々として暗くなればなるほど、その密雲の上の固有の蒼天(青空)を思うらしい。むろん、誰の目にも見えないのだが、松陰の目には網膜が青く染まるほどのあざやかさで、(蒼天を)思うようであった」と司馬遼太郎は語っています。
 先行き不透明と言われるこの時代ですが、私たちも恨み嘆くより、雲の上の空を見る心こそ、今必要な時なのではないでしょうか。 (寺の友社 教宣編集室 謹製)

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