蓮の実通信

No.021 「病院の中での法衣姿」

 入院中の檀家さんを、お見舞いに行った時のことです。受付に行くと、係の人たちが、こちらをジロジロ見ます。「感じが悪いなあ」と思いながら通り過ぎようとすると「ちょっと、ちょっと」と、呼び止められました。「あまり目立たないようにしてください。他の患者さんに、影響しますから」
 そう言われて、受付での “ジロジロ” の原因は、私の衣装にあることが判明しました。お参りの途中だった私は、黒い墨染の法衣姿のままだったのです。「すみません」と謝ったものの、内心では「坊さんが坊さんの格好をして来て、何が悪いんだ」と言い返したくなりました。

 世間からは、坊さんイコールお葬式。時には、不吉で、縁起が悪いように思われることさえあります。そんな人々の気持ちがあるということも、わからない訳ではありませんが、以前私が読んだことのある、某仏教雑誌のコラムに、こんな記述がありました。
 『仏教者が、病院や老人ホームに出入りすることが『縁起が悪い』とか『まだ早い』などと言われることは、本来おかしいことである。死に臨んだ人や、お年寄りが、真に語り掛けられるのは、仏さまだけであろう。誰もその人の心の中をわかることができなくても、仏さまは、わかってくださるはずである。したがって檀信徒の方が入院されたり、老人ホームに入所されたならば、積極的に出向いて、その人のお話を聞いていただきたい。ただ手を握り、顔を見つめて、話はなされることを聞き、うなずくだけでもよいのである』と。
 この意見は、世俗的な常識とは、逆の意見ではあります。しかし私は、本来のお坊さんは、かくあるべきだと思っています。〈死〉は確かに私たちにとって、一番の苦しみ、恐怖の対象であります。だからこそ、最も心の安らぎが必要な時であるはずなのに、逆に拒否反応を示される。これはまことに悲しい現実だという他ありません。

 聞けば、キリスト教の牧師さんは、臨終ま近かになった信者さんの枕元に立ち合うそうです。それは、人が死ぬ前に、「自分がこの世で犯した罪を、すべて懺悔しなければならない」という、信仰上の理由からだそうですが、病院側はこれを許可していると言います。それなら我々坊さんの方も、ひと踏ん張りしなければなりません。
 最近では、病人の心の相談役とも言える“ホスピス”の制度が関心を集めています。これからのお坊さんは、人が死んでからよりも、死の直前に信頼を集め得る仕事をしなければならないでしょう。そうなれば、黒い法衣を着て病院に入って行っても、むしろ、それが信頼のシンボルになるに違いないと思うのです。  (M・N)

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