蓮の実通信

No.016 「私は、字の下手な住職」

 私は、正直言って字が下手です。「字の下手な人間に、坊さんが勤まるものか」とおっしゃりたい方もあるでしょう。私には、こんな苦い想い出があります。

 忘れもしません。あれは、私がお寺に新米住職として入寺して、初めてお葬式を出した時のことです。お通夜から帰ってきた私は、お位牌をかかえて途方にくれていました。
 戒名をつける事は、以前から勉強していたので、なんとかつける自信はありました。しかし、いざ戒名をお位牌に書こうとすると、今までの稚拙な自分の字が頭をよぎり、どうしても書くことができません。「明日、お葬式の時に、お位牌を持ってまいります」と、お通夜の席を立ったものの、書き直しのきかないお位牌に、戒名を書くことがどうしてもできません。これでは、一寺の住職としての面目が立ちません。困ってしまった私がふと気がつくと、両親のいるお寺の山門前に立っていました。結局、その時は、両親に甘えてしまいました。
 最終列車で、自分のお寺に戻る時「これで明日お葬式を出せるぞ」という安堵感と「一寺の住職たる者が、お位牌すら、自分で書けないのか」というみじめさが同居して、私の心の中は、複雑に揺れていたのを覚えています。
 両親の寺から帰る時「いくら、偉そうな事を檀家さんに説教しても、お位牌一つ書けない住職なんて、坊さん辞めたら」という母の言葉が、私の心に突き刺さっていたのです。
 幸か不幸か、それからしばらくの間は、お葬式がありませんでした。ところが急に、一週間に三度もお葬式があったのです。今度は、両親には頼れません。覚悟を決めて、亡くなった三人分の戒名を、お位牌に書きました。

 今でも、この三軒のお宅にご回向に行くと、嫌でも私の下手な字が、目に飛び込んできます。下手な字のお位牌に、一生懸命手を合わせている檀家さんを見ていると、仏さまにも、檀家さんにも、申し訳なく思えてくるものです。思わず「もっと上手になります、練習をします」と自分に言い聞かせ、私なりに頑張っています。私にとっては、これも大事な仏道修行の一つと言えるでしょう。(M・N)

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