蓮の実通信

No.008 「物差し、いろいろ」

 何が正しいのか、分かりにくくなっている現代です。子供に意見しても、古いとか、ワンパターンだと反発されます。
 ところが、ついこの間のことです。六年生になる息子が、「お父さん、この物差しの目盛り、おかしいよ」と言ったのです。見れば、私の母が裁縫用に使っていた、古い竹製の物差しでした。
 これは、昔の人の考え方を教える、良い機会だと思った私は言いました。「お前たちは知らないかもしれないけど、これは鯨(くじら)尺と言って、着物を縫う時に使う目盛りなんだ」と説明すると、息子は「お父さん偉いんだね、昔のことを知っているなんて」と、私をちょっと見直したようです。
 そこで止めれば良かったものを調子に乗って、「他にも、曲(かね)尺と言ってね、家を建てる時に使う目盛りがあるんだよ」と言ったばっかりに、「それは、どこが違うの?」と聞かれ、答えに窮してしまいました。実は、センチ・メートルの世界で育っている私にも詳しいことは分からないのです。

 そんな時にふと思い出したのが、私のお寺に出入りしている大工さんの言葉でした。「今の子供が、可哀想なのは、一つの物差しでしか、ものを考えられないことですな。ワシの若い頃には、いろんな物差しがあった。勉強ができなくたって、ちっとも気にならなかったもんだ」
 そんな大工さんの言葉に対し「どうして?」と尋ねると、「ワシは勉強はダメ、体操もサッパリ、歌もオンチ。だけど、和尚さん、鉛筆を削らせたら、クラスで一番だったんだよ」と言いました。「それで?」と次の言葉を促すと、「だから、先生は言ったんだよ。お前、大工さんになれ。そしたら素晴らしい家が建てられるぞってね」「それで大工さんになったんですか」と聞くと、「あたりめえよ、先生がほめてくれ たんだからな」と答えました。
 無器用な私には、そんな大工さんのような生き方はできなかったかもしれません。でも、そんな才能を伸ばしてあげた先生は、本当にすばらしい先生だったんだなと思いました。
 そう言えば、私にも、「坊ちゃん、お父さんの跡を継いだら、きっと立派なお坊さんになれますよ」と励ましてくれた檀家さんがいたのです。その言葉を信じて、私もお坊さんになろうと決心をしました。
 それぞれが、自分の花を咲かせようとする時、もっと大きな眼で世の中を見る 必要がありそうです。自分の姿にあった物差しを探してみることがとても大切な現代ではないでしょうか。 (T)

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