蓮の実通信

No.006 「悲しみから祈りへ」

 肌をさすような冷たい雨がやっとあがった、二月のある日のことでした。小さなお骨つぼを胸に抱いたその女の人は、今にも泣き出しそうな顔をしていました。
 頼まれてお墓までお伴をした私には、その女の人の胸の内が、痛いように分かりました。小さなつぼの中のお骨は、彼女の赤ちゃんです。赤ちゃんの名前は、裕子ちゃん。その裕子ちゃんが亡くなったのは、もう四年も前のことになります。
 死因は、急性心不全でした。その病名を聞いた時、私は耳を疑ったのです。お年寄りならともかく、赤ちゃんにも、そんな病気があるとは思いもしませんでした。
 その日、買い物から帰宅したお母さんは、ベビーベッドに寝ている裕子ちゃんを見て「よく眠っているわ」と安心して、夕ご飯の仕度にとりかかっていたのです。そこへ、お父さんが帰って来て、裕子ちゃんを抱きかかえた時、事(こと)の異変に気がつきました。なんと裕子ちゃんの息は、四時間前に止まっていたのです。
 あまりにも意外な出来事に、お母さんは、半狂乱。「どうして、どうして」と叫びながら、自分のうかつさを責め、ノイローゼのようになりました。「あの時、自分がもっと注意していたら」と、そんな思いが、四十九日を過ぎても心に重くのしかかりました。
 「早く納骨をしなければ」というまわりの人々の言葉にも「雨風にさらされては可哀想」という思いになり、お骨つぼをなでては、「お母さんが悪かったの」と涙を流す毎日が続いたのです。
 そんな様子を心配して、おばあさんがお寺に相談にやって来ました。その時、私はふと、お地蔵さまの和讃の中にある「ただ明け暮れの嘆きには、むごさ悲しさ不愍さと、親の嘆きは、汝等が受くる苦患の種となる」という言葉を思い出したのです。ただ嘆き悲しんでいるばかりでは、かえってあの世に旅立ったみどりの子の先往きのさまたげとなるという言葉。
 だから私は、本人にこう言いました。「あなたが悲しめば、悲しむほど、裕子ちゃんも悲しいのですよ。いつまでもメソメソしているお母さんを見るのは、裕子ちゃんも辛いのです。それよりは裕子ちゃんのことを、仏さまにお願いしましょう。きっと仏さまがあなたの代わりに、裕子ちゃんを守ってくださいますよ」そう話した時、彼女は「生きていれば、あの子は、もう四つ。あの世で大きくなっているんですね」と気をとり直してくれたのです。
 納骨の日は、悲しみとの別れの日ともなりました。流すだけ流した涙は、今度は祈りの涙へと変わるにちがいないと私は思ったのでした。 (M.N)

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