交流の広場「微笑苑」

No.003 お釈迦さまへの手紙

 それは木枯らしが吹く、大正十二年の暮れ近くのことでした。その年の 九月一日、関東大震災が起こり、東京は半分以上が焼野原の廃墟となって しまいました。
 この大震災で家族を失ってしまった獅子谷虎象さんは、上野のバラック 長屋で代書屋さんを開いていたのです。代書屋さんというのは、役所や裁 判所等の届け書や、字の書けない人たちのために、手紙や葉書を代わって 書いてあげる仕事をする人です。ところが、虎象さんは、その一風恐い名前 のせいでしょうか、サッパリお客がありませんでした。「場所が悪いのかなあ」 などと思案しているところへ、一人の男の子が飛びこんで来たのです。
 「おじちゃん、手紙書いてくれる」そう頼む少年に、小さくてもお客さんは、お客さんだと思った虎象さんは「いいよ、どこへ出すんだい」と尋ねました。
 「インドのおしゃかさま」これを聞いた虎象さん、びっくりして「大人を馬鹿にする気か」と怒鳴ろうとしましたが、あまりにその幼な子の目が真剣なのに、思わず言葉を呑み込んでしまいました。「ぼく、おしゃかさまに、お母ちゃんの目をさましてもらうように頼みたいんだ。そしてご飯を作ってくれるようにお願いするんだ」これはただ事ではないと思った虎象さん、男の子に事情を聞くと、お母ちゃんはずっと寝たきりだったけど、今朝になって、いくら呼んでも目をさましてくれないとのこと、お腹もペコペコになり、誰かに頼もうと思ったら、ふとお釈迦さまのことを思い出したと 言うのです。
 「だってお母ちゃんが、いつも困った時には、おしゃかさまにお願いしなさいって言ってたもの。でも地震でボクん家(ち)のお仏壇も焼けてなくなってしまったでしょう。だから、おしゃかさまに手紙を書いてもらいたいんだ」
 すべてを察した虎象さんは、少年を抱きしめると「分かったよ、坊や。おじちゃんがちゃんと書いてあげる。坊やのお母ちゃんが目をさますように、坊やが温かいご飯がたべられるようにってね」と約束したのです。
 そして、この約束は本当になりました。虎象さんは、男の子の家に行って、 亡くなったお母さんのお葬式を出してやり、少年を自分の子として引き取ったからです。
 虎象さんは少年に言いました。「お釈迦さまがすぐ返事をくださってね。お母ちゃんは体が弱いから、天国でゆっくりと休ませてあげるって。その間、坊やは、おじさんの家で元気で待っていなさいって。分かったかい」コックリうなづく少年を見て、虎象さんもお釈迦さまに「私もこれで、生きる希望がわきました」と心からお礼 を言ったそうです。 (S・M)

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